よろこびを運ぶ昆布
11月15日は「昆布の日」。
「育ち盛りの子どもが栄養豊富な昆布を食べて元気になって欲しい、また、昆布を食べる習慣をつけてほしいという思い」という願いを込めて、七五三と同じ11月15日が、日本昆布協会によって「昆布の日」に制定されました(1982年)。
昔から日本では、昆布を「よろこぶ」と語呂合わせにしたり、「よろこぶ」を「養老昆布」と書き、不老長寿の願いをこめたりして、よろこびや幸せを運んでくれる縁起が良い食品としています。お正月のおせち料理にかならず入っているニシンの昆布巻きも、「二親(ニシン)」が多くの子ども(数の子)を授かって「よろこぶ(昆布)」ということで、子孫繁栄の願いがこめられた料理です。
日本昆布協会副会長、築地〈吹田商店〉社長・吹田勝良さん
2020年12月刊行の『昆布』(和食のだしは海のめぐみ①)を監修していただいたのが、その日本昆布協会。そして、本の編集過程で、内容をチェックしてくださったり、だしの取り方の写真を撮影するスタジオの手配をしてくださったりなど、大いにご協力をいただいた日本昆布協会の副会長が……築地場外市場に店を構える老舗昆布店〈吹田商店〉5代目社長の吹田勝良さん(写真)です。
「昆布の専門店っていうのがあるんだ! はじめて知った!」という方もいらっしゃるでしょう。吹田商店は、正確には「昆布問屋」ですが、築地場外にあり、小売りもしているので、この記事を読んでいるみなさんも、もちろん、店に行って昆布を購入することができますよ。
今回は、日本の昆布店のなかでも老舗中の老舗、吹田商店さんを訪問して、あらためていろいろお話をうかがいました。
明治25年に大阪で創業、その後東京支店として築地に開業
吹田商店の初代・吹田篤三氏は、奉公先の大阪の昆布商で番頭としてその腕を買われ、当時“良い番頭”に授けられたという名前「良助」をもらって独立。吹田良助と改名して、吹田商店を明治25年(1892年)に大阪の靫(うつぼ、今の大阪府大阪市西区靱本町および江之子島2丁目東部)という場所に創業したそうです。
「私の祖父は初代の子で、3代目です。あるご縁を機に上京し、吹田商店の東京支店を築地に開いたんです。ところがまもなく、大戦で大阪の店が焼失。2代目の跡継ぎが抑留先のシベリアからなかなか戻ってこられず、店の再建も難しかった。結局、大阪の店は看板を下ろすことになり、吹田商店があるのはこの築地だけになったんです」。
う〜ん、なんだか激動の歴史。社長がふだん着ている藍色のはっぴも歴史を感じさせますが、今回特別に、大阪で創業した当時に使っていたという、年季の入ったはっぴを見せていただきました。おー、そこには創業の地である「靫」の文字が!
吹田商店は、どんなお店?
さて、吹田商店がいかに老舗であるかはわかっていただいたと思いますので、そろそろお店を具体的にご紹介しますね。
吹田商店は、東京メトロ日比谷線・築地駅の出口1を出て、築地本願寺の前を歩いて2分、交差点の向かい側に見えるビルの1階にあります。開業当時の看板建築をそのまま残したような壁の上部には「こんぶ問屋」とあります。
訪問したのは、月曜日の朝10時ごろでした。朝からお客さんがたくさん来ています! お店のスタッフも大忙し。
どんな昆布を売っているの?
吹田商店では、どんな昆布を売っているのでしょう? それぞれどんな特徴があるのか、吹田さんに説明してもらいました。
まずは「山出し昆布」と「利尻昆布」。
「山出し昆布は、種類は真昆布です。にごりにくく、澄んだ上品なだしがとれ、お吸い物のだしに適しています。だし用としては、はずれがない昆布。昆布だしを好む大阪で多く使われます。おぼろコンブの原料としても有名です。利尻昆布は味はさっぱりめ。やや塩味がかっていて、真昆布とくらべると甘みは少なめです。香り高く、澄んだだしがとれます。お椀や千枚漬け、湯豆腐用に。京都でよく用いられる昆布です」。
つぎは「羅臼昆布」と「早煮昆布」。
「羅臼昆布は、味の濃いだしがとれる昆布です。やわらかく、口あたりもよいので、細切りをそのまま食べたり、酢コンブなどにしてもおいしい。富山県で消費される昆布の約7割が羅臼昆布だといわれています。早煮昆布は、昆布のなかで厚さの薄い長昆布という種類の昆布です。煮崩れしにくいので、おでんの結び昆布、つくだ煮、昆布巻などにぴったりですが、あまりだしには向きません」。
それから「日高昆布」。
「日高昆布は、三石昆布ともいいます。基本的には、だしよりも料理向き。柔らかく煮上がるので、昆布巻きなどの料理に合います。関西方面よりは、中部地方以北で人気の昆布です」。
店内を見てみよう!
お客さんの切れ目をねらって、店内の様子をくまなく見せてもらいました。
昭和レトロな店内……あれ、天井にある、先が二股に分かれたこの長い棒は……あれだ! 本の編集担当の僕はすぐに分かりましたが、みなさんは何だと思いますか?
本を読んでいただいた方は分かるはず。
答えはこの写真(本の著者・阿部秀樹さん撮影)。昆布の漁師さんが昆布を採るときに使うサオのうち、利尻昆布や羅臼昆布など、幅の広い昆布を採るときに使う「シバネジリザオ(マッカ)」でした! 二股の根元で昆布の根元をはさみ、回転させて巻きつけて抜きとるのです。
これまたレトロな、レジ・カウンター。おや、何か貼ってあります。
「昆布セミナー」の案内です。吹田社長が講師でやっています。コロナ禍前は対面でやっていたそうですが、現在はお休み中です。だれでもおいしく、しかも簡単にできる、だしのとり方も指南してくれるそうなので、再開したら、興味のある方は参加してみては?
レジ・カウンターの後ろには、ビルの1階に入る前の昔のお店の写真、古めかしい取引台帳、「東京昆布会員」の札。あぁ〜昭和レトロ好きな僕は、なんだか心がタイムスリップして、気持ち良くなってきました。
吹田社長、ありがとうございました!
5代目の社長の吹田さんは、お父さんである4代目の修一さんから、2007年に社長を引き継ぎました。
大学卒業後、すぐにこのお店で働いていたわけではなく、最初は、子どものころから好きだったクルマ好きが高じて、カーレースの興行主の会社に数年間、勤められていたそうです。しかし、日本の昆布店の歴史とも言うべき吹田商店を継ぐ意義を感じ、30歳を前にして会社を辞めて吹田商店で働きはじめて、今に至ります。
あたたかい人柄と勉強熱心な吹田社長からは、日本の昆布の食文化を守り、引き継いでいこうという強い意志を感じますが、ひとつ、とても心配なことがあるとのこと。
「コロナ禍もいったん収まって、海外のお客さんはまだですが、かなりお客さんは戻ってきています。吹田商店をずっと続けて、できればまた息子にも引き継いでいきたいと考えていますが、地球温暖化で各地の海水温が上がるなか、昆布の採れる北海道の沿岸でも例にもれず海水温が上昇し、昆布の収穫量が年々減ってきています。いくら僕らが、この仕事や、昆布の食文化を守っていこうったって、昆布屋はいい昆布がないと商売にならないんでね……この先どうなるのか、未来は見えていません」。
温室効果ガスによる地球温暖化は、海水面の上昇による陸地の減少、気候の極端化、さらには気候の変化による農業、自然環境や生物に与える悪影響が世界中で叫ばれて久しいですが、日本の食卓を支えてきた昆布にも大きな危機を与えていたとは……。
短い時間でしたが、いろいろなことを勉強させていただきました。吹田さん、ありがとうございました。
今まさに、昆布の文化を守っている吹田さんの背中は、とてもかっこよかった。吹田商店がいつまでも続くよう、そして自分たち人間が自然と共存できるよう、わたしたちは努力しなければなりません。
(編集部・刑部)