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編集部だより

やわらかい鼻先の香ばしい草のにおい

2022.10.12

©Kawata San

日本で最も西に位置する島、与那国島には、ほぼ野生で暮らす馬がいます。『ウマと話すための7つのひみつ』(河田 桟 文・絵)は、馬とともに暮らす著者による「馬語」の入門書です。本作を企画するにあたって、与那国島を訪れた編集者が、馬と過ごした時間を振り返ります。

 あの特別なうれしさはいったい何だったんだろう、と今でも考えます。初めて馬と話したときのことです。

 馬を飼いながら、文筆業をしている河田桟さんを与那国島に訪ねたのは、コロナの感染状況が一時的におさまっていた昨年の10月のことでした。『馬語手帖』『はしっこに、馬といる』『くらやみに、馬といる』(いずれもカディブックス)といった河田さんの著書を読んで、この方に子ども向けの本を書いてもらいたいと思ったのがそもそもの動機でしたが、それに加えて、河田さんが毎日SNSで発信してくれている与那国馬の姿と島の風景に惹かれて、どうしてもそこに行ってみたいと思ったのでした。

 河田さんがツイッターやインスタグラムにアップしてくれる毎日の短い動画には、海をのぞむ丘の上でたてがみを風になびかせる馬や、朝日に照らされる草原でおだやかに草を食む馬たちの姿が映されています。それを見て、今の自分の日常とこの馬たちの日常がひと連なりの世界なんだと感じられるのは、コロナ禍の閉塞感をともなう生活の中で、ずいぶんと呼吸を楽にしてくれることだったのです。

 与那国島は、東京からの飛行機を乗り継ぐ石垣島よりも、むしろ台湾の方が近い、日本で最も西にある島です。島に着いた翌日に、河田さんの車で、ほぼ野生の状態で暮らしている馬たちがいる岬に連れて行ってもらいました。薄日のさす広々とした曇り空の下、しっとりとした緑の草原に、馬たちは思い思いのしぐさでゆったりとそこにいました。

 東崎(あがりざき)というその岬の名は、島の反対側にある西崎(いりざき)の名と対になって、日の出と日の入りが全てを統べるのが島というものなんだということを思わせます。

 離島に行くと、大海原の一点という状況に、自分の存在の小ささをもあらためて確認することになりますが、ここがはしっこの島だということも重なって、その岬から四方に広がる、果てしなく鈍色に輝く海の眺めは、この地球の上に、自分や、そして馬たちが、無に近いような限りない小ささで、それでも確かに存在することを感じさせるものでした。

©Kawata San

 カディという河田さんの相棒の馬の名は、与那国語で風という意味なのだそうです。島に行って、その名前のふさわしさがよくわかりました。島は東西に細長く、標高の高い山もないので、滞在しているあいだずっと、海から吹き渡る風の音を耳にしていたからです。

 カディは野生の生まれですが、仔馬のときに母馬を亡くして、群れを追われ、このままでは生きられないと放牧地の外へ出されたときに、河田さんが引き取って世話をすることになりました。今は河田さんが切り拓いた牧に放たれて、自然のままに生きています。

 初めて会ったカディは、一つの確かな個性を持った生き物でした。その個性は、これまでにケニアの保護区で見た野生の動物や、観光地などで接したことのある大型の哺乳動物には感じたことのないものでしたが、それは、それらの動物に個性がなかったのではなく、こちらがそれぞれの存在を個として感じられるほど、彼らを尊重して向き合っていなかったということなのでしょう。目の前の自然の中で、あるがままにふるまっているカディは、こちらが勝手に踏み込んではいけない、おかすことのできないパーソナリティを持った生き物でした。

 河田さんは毎日、未明から牧に行って、暗闇の中でカディとともに夜明けをむかえることを日課にしています。島を発つ日の早朝に、誘っていただいて、再びカディのいる牧に同行することになりました。両側に草がしげった細い道を車がゲートに近づいていくと、低速のエンジンの音を聞きつけて、薄暗がりの中からゆっくりとカディが姿をあらわします。牧に入った河田さんが先に立って進んでいくと、カディは後をついていきました。そのカディを驚かせないように、少し距離をあけながら、草をかき分けて静かに後に続きます。たどりついたガジュマルの森には、小さな空き地があって、そこに二脚の椅子が置かれています。無言のままその椅子に体を落ち着けます。

 だんだん空が明るくなるにつれ、木々のシルエットが浮かびあがり、早起きの鳥たちが鳴きはじめました。カディはくつろいだようすで飼い葉を食べています。カディの歯が干草をすりつぶす低くリズミカルな音を聞きながら、打ち寄せる波や焚き火の炎を見ているような、満ち足りた気持ちになっていきました。

 そのうちに、頃合いを見た河田さんが席を立って、こう言いました。

「わたしは草場のボロ(馬の糞)を片づけてくるので、ここにいてください。わたしが行くとカディはついてくるかもしれませんが、ここに残るかもしれません。そのままここにいてください」

 河田さんが草場に向かっても、カディはその場を離れませんでした。カディと二人だけになると、それまでも声など出していないのに、あたりの静けさがいっそう深まったようでした。雨上がりの森のにおいが濃くなったように感じました。もう目はすっかり慣れて、カディのつややかな毛並みの色もはっきりとわかります。

 この時間がずっと続くようにと思っていたとき、カディがおもむろに体を起こして、こちらを向くのがわかりました。カディの気持ちを乱してはいけないと思ったので、心を落ち着けて、体の力を抜きました。カディはそのままゆっくりと音もなくこちらに向かってきます。そして、そのまま首をのばすと、椅子の肘掛けに置いたわたしの手のにおいを嗅ぎました。温かい息を指に感じます。それから、静かにその大きな目の顔を持ちあげると、カディはわたしの鼻にやさしく自分の鼻を押しあててにおいを嗅いでくれたのです。カディのやわらかい鼻先は香ばしい草のにおいがしました。

 ただそれだけのことなのです。でも、そのときに、いったいこんなにうれしいことってあるんだろうかと思いました。カディとの間になにかが通ったのを感じました。

 与那国島まで出かけて初めて体験した出来事だったのですが、そのあと何度もそのことを反芻するうちに、これはそんなに特別なものではなく、あのうれしさや、ガジュマルの森でのゆたかな時間は、とても普遍的なことなんだと思うようになりました。これはまさに、マリー・ホール・エッツのロングセラー絵本『わたしとあそんで』(福音館書店)が描いている世界でもあります。

 あれから1年後のこの10月に、河田さんに子ども向けの本を書いていただきたいという思いがかなって、『ウマと話すための7つのひみつ』という絵本を刊行します。この絵本を読んだ子どもたちが、身のまわりの自然や動物たちとゆたかな関係をきずけますようにと願っています。お手にとっていただけましたら幸いです。

(編集部・広松)

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