みなさんこんにちは。梅雨ですね。この時期は、涼しくて走りやすいので好きです。私はランニングしながらオーディオブックを聴くことがあります。
さてそんな折、名作中の名作『二分間の冒険』(岡田 淳 作/太田大八 絵)が、オーディオブックとなりました。わーパチパチ。
もとより大好きな作品ですが、一聴「オーディオブックにピッタリ」と感じました。『二分間の冒険』は現実ではない閉じた世界でのお話で、その息苦しいまでの雰囲気が耳で聴くと際立って感じられるのです。なにより声優・三田ゆう子さんの演じわけがすごい。女子、男子、いい老人、わるい老人、竜そして地の文と、まさに七色の声です。目の前にどんどん情景が浮かびます。お見事!
というわけで、祝オーディオブック化記念、今回は私なりの『二分間の冒険』語りです。
内容については以前の記事でご紹介。▼
〈いちばんたしかなもの〉を探す冒険『二分間の冒険』
私がはじめてこの作品を読んだのは大人になってからでした。旅行中に読み終え、バスのなかで「あーおもしろかった!」と大きな声を出してしまいました。その感動は20年近くたったいまも忘られず、今回のオーディオブック化でも何度も聞き返し、あらためてそのおもしろさを味わっているというわけです。なにがそんなによいのか、3つに分けて語ります。エンリョなく語るぞ。
その1「自由でリラックスした世界観」
主人公の悟は、黒ネコ「ダレカ」によって現実から別の世界へと送りこまれますが、悟はそこが現実ではないことを知っています。何かに似ていると思いました。それは「明晰夢」です。「これは夢だ」と気づきながら見る夢のことで、空を飛んだり、悪漢を打ちのめしたり、はたまた好きな子に告白したり、もうなんでもしたい放題の世界。こんな自由なことはない。
悟が迷いこんだのは夢の中ではありませんが、別の世界であることは認識しており、ふるまいが冷静で勇敢、そしてリラックスしているように見えます。こんなふうに世界を見わたしているような舞台設定は、読み手にとってもリラックスできるものです。だからこそ物語のなかに全身で飛びこんでいける。幸せですよね。
その2「ファンタジーから顔を出す現実」
本作を読むたびに私は、小学校の木の机を思い出します。色やにおい、手ざわり、キリで開けた穴まで現実感をもって思い出します。それはこのお話のなかで起きるひとつひとつのできごとが、読み手にとってあまりにもリアルだからでしょう。たとえば小学生が「異性とペアになる」ことの圧倒的現実。あったあった。恐ろしかった。さらには「そのペアで冒険に出る」こと。ぎゃあ。身をよじるほどイヤなのか、飛びあがるほどうれしいのか、恥ずかしいのか、かっこつけたいのか、もうわけがわからない。私の場合、本作で描かれるこうした状況が、場所の記憶とあいまって「木の机」という形でよみがえったのでしょう。ここまで感情移入できる作品は、そう多くはありません。なお私は体育で「女子をおんぶして走れ」といわれ、仮病で保健室に逃げこんだことがあります。なぜあんなことをさせるのか。
その3「子どもへのアンセム」
物語に裏の意味を求めることは禁忌かもしれません。しかしやはり『二分間の冒険』は「反抗」の物語であり、子どもへ向けた応援歌、アンセムであると思います。お話には竜と共謀する敵の一陣がいます。彼らは恣意的なルールをふりかざし、子どもたちに押しつけ、それを破ることを許しません。主人公たちはそれに対し、知恵と工夫と団結で立ちむかいます。その「敵」は読み手にとっては、いじめてくる人間かもしれず、「学校」かもしれず、ともすれば家族かもしれません。そうした苦境にある子どもに対し、勇気を与えるためにこの物語は「ある」ように感じるのです。それは敵に立ちむかう子どもたちの姿と心の動きが、あまりにも現実感をもって、きわめてていねいに描かれているからです。個人としても、集団としても見事に描かれています。そうしたことが、作者の意図とは無関係に「子どもに勇気を与える物語」であるように感じさせるのです。
ちょっと熱くなってしまいました。まだまだ『二分間の冒険』の魅力はつきませんが、今回はここまで。もし次に読むものに迷ったら、ぜったいにおすすめです。『二分間の冒険』よ永遠なれ!
(編集部 藤田)