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〈書評〉

『アンナの戦争––––キンダートランスポートの少女の物語』( ヘレン・ピーターズ 作/ 尾﨑愛子 訳)

愛するだれかのためなら、人は思いがけないほどの力を発揮できる(向井和美・評)

「あたえられた機会はすべて最大限に生かす」

『アンナの戦争』にはこの言葉が何度も出てくる。主人公の少女アンナが、12歳にして両親と離ればなれになったとき、列車を見送る母親はアンナにこう言った。「幸せになるように努力しなさい。いつも人にやさしくね。それから、あたえられた機会はすべて、最大限に生かすのよ」

アンナは母の言葉を守り、そのとおりの人生を歩むことになる。

アンナ一家はユダヤ系のドイツ人だ。1938年、ナチスからの迫害が激しくなり、一家が外国に逃れようとしたときには、すでにビザが下りなくなっていた。せめて娘だけでも無事に生きてほしいと望んだ両親は、キンダートランスポート(子どもの輸送)を利用し、もしかしたらもう二度と会えないかもしれないと心配しながらも、アンナをイギリスに送る。戦争中、国境を越えて子どもたちを疎開させる制度があったこと、人びとの善意がきちんと機能していたことを知って、わたしは胸が熱くなった。

列車に乗ったとたん、アンナは見知らぬ母親から、バスケットに入った赤ん坊を窓ごしに手渡される。ここから物語のギアが一気に上がり、続きを読まずにはいられなくなる。「いま思うと、エズラの登場は、あの旅での最高のできごとだった」とアンナがのちに言うほど、この赤ん坊が果たした役割は大きい。守るべき大事な存在ができると、だれでも自分の不安など二の次になるものだ。はたして赤ん坊はどうなるのか。なんとか無事に生き延びて! 読者はどうかその思いを、物語の最後まで持ち続けていてもらいたい。

さて、アンナの里親になったイギリス人家族はみなやさしく、アンナをほんとうの家族のように迎えてくれた。とくに母親代わりのローズおばさんはアンナの悲しみに寄り添ってくれる温かい人だし、アンナと姉妹のようになってくれたモリーとは、一度だけ仲たがいがあったものの、それを乗り越え、心を許せる間柄になっていく。ふたりがほんものの友情をはぐくんでいく過程も、この物語の大きな読みどころのひとつだ。帰る場所があり、悲しみをともにしてくれる人さえいれば、わたしたちはどんな場所でも生きていくことができる。

イギリスに到着するまでの不安。学校でドイツのスパイといじめられる悲しさ。両親が収容所に送られたのではという恐怖心。つらいことがあるたび、アンナはそれを「頭に中の箱にしまって鍵をかける」。この言葉もまた、物語のなかに何度も出てくる。わたしもそうだが、人はつらい出来事があると、そのことで頭がいっぱいになって、ほかになにも考えられなくなってしまう。でも、それでは前へ進めない。とりあえず箱にしまって思い出さないようにすることは、アンナが考え出した生きるための知恵なのだろう。

あるとき、家の納屋にけがをした兵士が隠れているのを子どもたちが発見する。はたして、彼は何者なのか? ここからはもうページをめくる手が止まらない。まるで冒険小説とスパイ小説が一緒になったようだ。頭の回転が早く、勇気があるアンナの活躍ぶりは、映画を観ているようで、ハラハラしながらも心が躍り出す。

赤ん坊の命を守るため、両親の働き口を探すため、里親家族の安全を保証してもらうため、そしてイギリスのため。アンナは、あたえられた機会を最大限に生かそうとする。自分のためには出ない力でも、愛するだれかのためになら、人は思いがけないほどの力を発揮することができる。

ナチスに迫害され収容所で殺された人たちがおおぜいいたこと、両親と引き離された子どもたちがいたこと、いっぽうで、里親として子どもたちを受け容れ、わが子のように育ててくれた人たちがいたこと、そしてまたそんな機会さえ与えられずに死んでいった子どもたちが数え切れないほどいたこと。作者が伝えたかった思いをかみしめながら、わたしは今年も8月を生きている。


向井和美(むかい・かずみ)

京都府出身。翻訳家。訳書に『プリズン・ ブック・クラブ』『アウシュヴィッツの歯科医』(紀伊國屋書店)、『哲学の女王たち』(晶文社)、『アイスランド 海の女の人類学』(青土社)などがある。30年以上続く読書会に長く参加し、その経験を昨年『読書会という幸福』(岩波書店)に記した。昨年度まで都内の私立中高図書館に司書として30年間勤務。

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