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〈書評〉

『真昼のユウレイたち』(岩瀬成子 作/芦野公平 絵)

発せられる、あるいは発せられない小さな声(江國香織・評)

 真昼のユウレイたち。いいタイトルだなあと思う。幽霊がでるのも、幽霊に怯えるのも夜、という根拠のない思い込みを吹き飛ばしてくれるし、ユウレイたち、とユウレイがカタカナなのも素敵だ。漢字で書くより優雅で開放的な感じがする。

 ここには四つの短編が収められているのだが、四編ともに共通して、子供たちの心の動きが繊細に、丁寧に描かれる。ぜんどうともいうべきかすかなふるえまで、岩瀬さんの筆はのがさない。気遣いや遠慮、苛立ち、驚き、期待、失望、好奇心、ためらい、疑い、かなしみ、諦念、怒り、不安、羞恥──。たえまなく活動中のそのやわらかな心は、でも本人たちにとっては日々の普通のことなので、著者もまたことさらに強調することなく、それら微細な蠕動の一つ一つを、あくまでも淡々と、どうということもないかのように写し取る。そのことの凄み。同時に、周囲の大人たち一人ずつも、子供たちとおなじだけの個性を持った存在として描かれるので──子供が相手でも「児童憲章」を持ちだして話すような、「引かない人」である高美おばさんや、迷子になった息子が見つかったとき、息子は泣いていないのに「わーわー」泣いてしまうお母さん(ああ、わかる、と私は思いきり共感した)、「生きていると、自分の力じゃどうすることもできないことがいっぱいあるの」という厳しい現実と、そのときにできる唯一のことを教えてくれる庭子さんや──、小説世界が風通しよく立体的になる。

 タイトル通り、どの物語にもユウレイがでてくるのだが、彼ら彼女らがまたチャーミングなのだ。パイナップルを切ってだしてくれたり、「幽霊としての分はわきまえて」いたり、海のなかで『ふしぎの国のアリス』を読んでいたり、飛行機に乗って移動したりする。そして、みんな恨みによってではなく生きている誰かのことが心配で出現する。だからあまりこわくはないのだが、でも一人一人のうしろにはもちろんそれぞれに重い死があり、一つずつの物語のうしろにも、独居老人や子供の苛め、戦争や複合的な家族といった社会の現実が、背骨としてきっちりとある。

 それにしても、ここにでてくる人間たちの生身感はどういうことだろう。ユウレイたちと対比するまでもなく、一人一人が血肉を持ち体温を持ち、呼吸するみたいに自然に生気を放っている。理由のひとつは、たぶん声だ。大人たちの、子供たちの、発せられる、あるいは発せられない小さな声。それがみんな物語に編み込まれていて、だから岩瀬さんの作品はいつも、静かなのににぎやかだ。

 そして、読むたびに驚かされるのだが、子供たちの口調をこれほど鮮やかに書き分けられる作家を私は他に知らない。大人に対して優等生的に話す(のに、ときどき井戸端会議をする一人前の女性みたいになる)春海や、のんびりと話す上に主語と述語をばらばらにしがちな千可、大人びた口調の春生に、勇ましい調子でぽんぽん喋るかすみ。やさしい、丁寧な口調で話す連の言葉は語尾だけ見れば女の子みたいなのに、聞こえる声も目に浮かぶ姿も伝わってくる性質も少年そのものだ。他に、ほんのすこしだけでてくる「吉川くん」の口調も最高なのだけれど、ここに引用してしまうのはもったいないので、ぜひ読んで確かめてほしい(個人的に、私はこの子が気になって仕方がない)。

 いろいろな子供がいて、いろいろな大人がいて、おまけにユウレイたちまでいるこの世のどこかの小さな町で、きょうも静かに確かに、無数の生活が営まれている。


江國香織(えくに・かおり)

1964年東京都生まれ。小説家、詩人、翻訳家。直木賞、川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞、坪田讓治文学賞など受賞多数。小説のほかに、児童文学『こうばしい日々』、長編童話『雪だるまの雪子ちゃん』、絵本『おさんぽ』『ちょうちょ』、詩集『いちねんせいになったあなたへ』など子どものための作品も多く、『ぼくはきみで きみはぼく』『しろいゆき あかるいゆき』『アンデルセンのおはなし』『青い鳥』など、絵本や童話の翻訳も数多く手がけている。

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