「ドブルーフッチ!」とは、スロバキア語の「めしあがれ!」です。直訳すると「良い味を!」という感じ。つくった人や食卓に同席する人が、食べはじめる人に向かってかける言葉です。
このエッセイでは、中央ヨーロッパの一国、スロバキア共和国に暮らす降矢ななが、思い出や経験をからめながらスロバキアのおいしいものをご紹介します。 さぁ、みなさま、ドブルーフッチ!
一年前の1月28日、一時帰国で早朝の羽田空港に着いた私は、朝9時からはじまる空港クリニックの診療受付を待っていました。数日前から何となく微妙だった腰痛が、ウィーンから羽田に飛ぶ11時間のフライトの間に悪化してしまい、応急処置を必要としていたからです。クリニック近くのチェックインカウンター前には、これから修学旅行に出かけるらしい高校生(?)たちが大勢、はしゃぎながら並んでいました。空港ビルのホワイトグレーの床を色とりどりのスーツケースを転がしながら足早に歩いている人々……。そもそも、17時間前まで私はスロバキアの自宅で紅茶を飲んでいました。それが今、大陸を飛び越え日本の空港で腰の心配をしてる……。思いがけずできた空白の時間にぼんやりしていると、自分の姿が可笑しく見えてきました。こんなんでいいわけないよね。
クリニックで紹介された空港近くの整形外科のお医者さんはとても親切で、レントゲンまで撮ってていねいに診察してくれました。腰に局所注射を打ってもらうと、痛みは徐々に引いていきました。これから名古屋に行くのだと言うと、お医者さんや看護師さんたちにやんわり止められましたが、結局私は予定どおりに新幹線に乗ったのです。
翌朝、名古屋のホテルでテレビをつけると、中国・武漢から日本人を乗せたチャーター機が羽田に到着したと中継されていました。私はその日のうちに、名古屋駅の地下ショッピングモールのドラッグストアで、店頭に並んだいろいろな種類の使い捨てマスクの中から、耳にやさしいタイプを一袋と除菌ウェットティッシュを買いました。2日後にもどった東京ではマスクがまったく手に入らなくなっていて驚きました。知っていたら多めに買ったのに……。
ホテルのテレビに映るダイヤモンド・プリンセス号の騒ぎを見ながらも、私は腰に湿布を貼り、毎日都心をあちこち移動し予定をこなしました。15日間の日本滞在の最終日、ホテルから羽田空港まで、タクシーに乗って夜の都心を走りました。すべるように進む車の窓の外には、灯りに照らされた美しい高層ビルが次々に現れ、いつの間にか東京がこんな近未来都市になっていることに、驚嘆の声を上げてしまいました。
真夜中発のウィーン直行便を待つ搭乗口前には、またもや高校生の団体が。乗り継いでフランスへ移動するそうです。私の乗った飛行機は、午前1時55分に出発し11時間の飛行ののち、同日の午前6時のウィーン空港に到着しました。地球の自転と逆方向に飛んだからです。その数時間後、私は我が家のダイニングで半月前と同じように朝の紅茶を飲んでいました。そして、その約1カ月後に、ヨーロッパの各国がロックダウンに踏み切りました。
去年の夏は、いつもより比較的雨が多く、我が家の畑にはじめて植えたビーツが大豊作でした。これらでビーツの瓶詰を作ろうと、義姉のカトカが我が家に手伝いに来てくれました。カトカは近くの街の病院で看護師さんをしています。前の晩、大きな鍋で皮ごと茹でておいたビーツの皮をむき出すと、たちまち両手が赤むらさきに染まります。それをチーズおろし器で荒くすりおろし、甘酢とあえて瓶に詰め、蒸し器に並べ蒸気で殺菌するのです。甘酢液には香りづけにアニスシードを少々入れて煮だします。香りが出たらザルでこして種は取りのぞきます。大量のビーツから700㎖ビン42本できあがった瓶詰は、カトカの家族と我が家で半分ずつ分けます。ビーツの瓶詰は、卵料理や肉料理の付け合わせにとても重宝するのです。
ガラス瓶の中の鮮やかな赤むらさき色のビーツを見ながら思います。
世界中にコロナ感染が広がり、今まであたりまえだったことが、できなくなりました。
私の一時帰国もしばらくは難しそうです。
畑に植えた種に水をやり、世話をして、時間をかけて野菜を育てる。
その野菜を使って、家族といっしょに手作りの瓶詰めを作る。
そんな暮らしが、生きものとしての人間にも地球にも、どれだけ負担のない行為であるか、充分わかっているつもりです。でも、一方で、東京の夜景に驚嘆した自分がいます。時差ぼけになっても一時帰国したい自分がいます。そういえば、コロナ前は夕方の空に何本も交差して見えた飛行機雲が、今はほとんど見られなくなりました。Covid-19が世界中に蔓延した経過の一端を、私自身も担っている……そう思い、やりきれない気持ちになる今日この頃です。