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ドブルーフッチ!降矢ななのおいしいスロバキア

第8回-2

Bryndzové halušky(ブリンゾヴェー ハルシュキ)スロヴァキア式ニョッキの羊チーズあえ 後編

「ドブルーフッチ!」とは、スロバキア語の「めしあがれ!」です。直訳すると「良い味を!」という感じ。つくった人や食卓に同席する人が、食べはじめる人に向かってかける言葉です。

このエッセイでは、中央ヨーロッパの一国、スロバキア共和国に暮らす降矢ななが、思い出や経験をからめながらスロバキアのおいしいものをご紹介します。 さぁ、みなさま、ドブルーフッチ!


*この記事は後編です。前編はこちらでご覧ください。

 9月になり大学の新学期が始まっても、アスファウは戻ってきませんでした。それから何か月過ぎても彼は戻ってこないばかりか、何の連絡もありませんでした。彼のエチオピア人の親友も困っていました。アスファウと仲の良かった寮のルームメイトのジョージア人学生は、とてもがっかりしていました。私はというと、何となくその可能性もあると思っていました。彼はもうスロバキアに帰ってきたくないのではないか······と思っていました。だから、大学に問い合わせるとか、親友を問い詰めるとか、アスファウの消息をつきとめるようなことは何もしませんでした。しかし、それから数年すぎて、カーライ先生から、彼は、エチオピアの情勢が変わりスロバキアに来られなくなったのだと聞かされたのです。アスファウは、戻ってきたかった?! 

 よく考えると、私はエチオピアのことをほとんど何も知りませんでした。どんな政治状況であったのかも、まったく興味がありませんでした。自分が知っている狭い価値観とあきれるほど表面的なヒューマニズムで、彼が一時帰国するのは良いことだ、と思い込んでいました。私の軽はずみな提案が、彼の人生を大きく変えてしまったのでしょうか。たった6万円で私は何ていうことをしてしまったのか。

 その後、エチオピアの歴史を調べたところ、1991年に大きな政変があったことがわかりました。エチオピアは1975年より社会主義国家でした。しかし1991年5月、エチオピアからの独立をめざすエリトリア勢力と当時の一党独裁に対する反政府勢力が共闘し、首都アディスアベバに突入、政権を崩壊させ、当時の大統領メンギスツはジンバブエへ亡命したのです。
 その後、エチオピア暫定政権がしかれ、4年後の1995年には、民主主義の国家「エチオピア連邦民主共和国」が樹立しました。アスファウがスロバキアに留学したのは、政変の前の1990年。そして滞在中にこのような政変が起こり、国政が不安定な中、彼は一時帰国していったのです。

 それを知っていたら、私はアスファウに一時帰国を提案しなかったと思います。だけど、もし自分が彼の立場だったら、そういう時だからこそ国に帰って、家族や友人に会いたいと切望したかもしれません。でも今になってはそんなこと想像しても何の役にも立ちません。事実は、私が何も知らずに軽い気持ちでいたこと。そして、アスファウは戻ってこなかったこと。

 私の留学1年目の学年末のことでした。寮に住む美大留学生たち全員がブラチスラヴァで美味しいと有名なレストランに招待される機会がありました。総勢8人くらいでしょうか。半年の短期留学を終えたドイツ人留学生のご両親が、彼女を迎えにシュツットガルトから車でやってきて、娘がお世話になったからお礼をしたいと招待してくれたのです。白いひげを生やし、黒ぶちメガネをかけたお父さんは、メニューを見ながら学生たちに「今日は何でも好きなものを選びなさい。遠慮しなくていいんだよ」と陽気に声をかけてくれました。当時のスロバキアは物価がとても安く、旧西ドイツ人にはさもない金額だったかもしれませんが、旧社会主義国からの留学生は、奨学金をもらいながらのカツカツの学生生活。レストランで何でも好きなものをなんて、滅多にないチャンスです。みんなメニューをじっくり眺め、ふだん食べられないスープや肉料理を注文しました。さすがに美味しいと有名なお店です。私が頼んだ牛肉とキノコのスープも絶品でした。

 そんな特別な時に、アスファウが選んだものが、ブリンゾヴェー・ハルシュキだったのです。これはスロバキアの代表的な伝統料理のひとつです。すりおろしたジャガイモに小麦粉とつなぎの卵と塩少々混ぜて作ったやわらかい生地を、すこしずつ沸騰したお湯に入れて茹でて作った熱々のパスタに、羊のチーズとカリカリに炒めたベーコンとその油をからめた料理です。おいしいけれどくせの強い羊のチーズが濃厚で、私はいつも一人前食べきることができません。

 ブリンゾヴェー・ハルシュキはスロバキアの代表的な料理とはいえ、日本の料理に例えたら、かけうどんみたいなものです。学食でも大衆食堂でも安く食べられる庶民の味です。アスファウがこれを選んだとき、みんなはびっくりして「ここでどうしてこれを?」「せっかくだからもっと別なものを選びなよ」と声をあげました。でも彼は笑いながら「いいんだ、これが」と頑として意志を変えず、運ばれてきたブリンゾヴェー・ハルシュキを丁寧に食べていました。

 どうしてあの時、彼はこれを選んだのか······。滅多に行けないレストランに招待され、友人たちがワクワクしながら肉のフライや煮込み料理に舌鼓をうっている中で、ひとり、シンプルな一皿を食べていたアスファウ。それを食べながら何を感じて、何を考えていたのだろうと思うのです。ブリンゾヴェー・ハルシュキを食べるたびに、アスファウのことを思い出します。エチオピアのどこかで元気に暮らしていると信じたいです。

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  • 降矢なな

    降矢なな

    1961年東京に生まれる。スロヴァキア共和国のブラチスラヴァ美術大学・版画科卒業。作品は、『めっきらもっきらどおんどん』『きょだいなきょだいな』『おっきょちゃんとかっぱ』『ちょろりんのすてきなセーター』『ちょろりんととっけー』『ねぇ、どっちがすき?』「やまんばのむすめ、まゆ」シリーズ(以上福音館書店)、「おれたち、ともだち!」絵本シリーズ(偕成社)、『いそっぷのおはなし』(グランまま社)、『ナミチカのきのこがり』(童心社)、『黄いろのトマト』(ミキハウス)、『やもじろうとはりきち』(佼成出版社)など多数。年2回刊行誌「鬼ヶ島通信」にてマンガを連載中。スロヴァキア在住。

今日の1さつ

病院の待ち合い室でこの本に出会い、子ども達が大大大好きになりました。痛いことは誰でも辛いことだけれど、治すためにがんばろうというメッセージが小さな子どもの心に響くようです。予防接種の際に「少し痛いけど必要なことだからがんばろう!」そんな時に子どもに読んであげたい1冊です。(3歳、8歳・お母さまより)

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