1890年、ロシアに生まれたワシーリー・エロシェンコは、4歳のときに麻疹で失明します。
22歳でイギリスへ留学、24歳のときには東京盲学校であんまの技術を学び、シャム(現在のタイ王国)やミャンマー、インドなどを転々としながら盲人教育の現場にたずさわりました。その後しばらくは日本で暮らすも、社会主義者の会合への参加を理由に国外追放となり、ウラジオストク、ハルビン、上海、北京と移動します。魯迅などのはからいで、北京大学でロシア文学について教鞭をとり、その後はモスクワに行き、盲人教育の仕事をしたのち、1952年、生まれ故郷で亡くなりました。
……こうしてふりかえると、まさに「吟遊詩人」という名にふさわしい、旅の人生だったことがわかります。この本には、そんなエロシェンコが残した童話が4篇と、詩が2篇収録されており、また「モスクワ盲学校の思い出」では、幼いころのエピソードが描かれています。
どの物語にも通底するテーマは、「人はいかにして自分の主人たりうるのか」ということだったように思います。それは自由を求めて彷徨する『せまい檻』に登場する虎や、「モスクワ盲学校での思い出」に登場する李鴻章や大公殿下にかんするエピソードにもあらわれています。
ロシア革命がおこり、スターリニズム––––いわゆる「狂気の時代」を、障がいをもちながらも懸命に生きたエロシェンコのことばには、現代をいきる私たちの心にもひびくものがあります。はたして、私はじぶんが正しいと思うことを正しいといえるだろうか––––いやはや、なかなか胸を張って答えられないなあ、と思うのでした。
本の終わりには、こんな一節があります。
この小さなスケッチを終わるにさきだって、闇の世界がわたしになんでも、そしてだれでもうたがってみることをおしえたということ、先生たちの言葉でも、あるいはそのほかのどんな権威者の言葉でも、ひとまずうたがってみることをおしえたということを、わたしはいっておかなければならない。
わたしはなんでもうたがったし、どんな権威も信じなかった。わたしは神は善であるということも、悪魔は悪であるということも、ともにうたがった。わたしはどんな政府もうたがったし、その政府に信頼をよせているどんな社会もうたがった。
4歳で光をうしなったエロシェンコは、人間の、世界の深いところを常にみつめていたのだな、と感じます。ささめやゆきさんによる素敵な挿画とあわせて、ぜひ読んでみてください。
収録作品 「鷲の心」「せまい檻」「おちるための塔」「バイタール物語」詩「悲歌 わたしは海辺に」詩「わたしは心に」「モスクワ盲学校の思い出」
(編集部 丸本)