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偕成社文庫100本ノック

第100回

ビルマの竪琴

2024.06.06

ビルマの竪琴 「ビルマ」とは現在ミャンマーと呼ばれる東南アジアの国のことで、この物語の背景となる太平洋戦争が起きた時はイギリスの植民地でした。中国大陸で戦線を拡大していた日本軍は、南からの中国軍への援助を断ち切る目的でビルマに侵攻しますが、やがて物資の補給が困難となり多くの日本兵が飢餓や病気で死んでいった悲惨な戦場となります。

 作者の竹山道雄さんは、戦局の悪化とともに学生が学徒動員として戦地に送られ始めた時、旧制第一高等学校のドイツ語の教授として、多くの教え子たちを見送りました。その中の少なからぬ学生たちが戦地に倒れ、二度と故国の地を踏むことができなかったことを、悲痛な思いで受けとめました。
平和がもどり折から原稿を依頼された子ども向けの物語のなかで、歌をつうじて敵味方が和解し合う場面を考え、日本人と同じ歌を共有する相手としてイギリス軍を選び舞台をビルマに設定したと言っておられます。明治以来日本の唱歌の多くが、イギリス起源の民謡から曲を採っていたからです。こうして『ビルマの竪琴』は緊張のうちに対峙していた日英双方の部隊から期せずして沸き起こった『埴生の宿』の合唱のうちに、戦いが終わる劇的な場面から始まります。

 物語は竪琴を得意とする水島上等兵が、抵抗する日本の一部隊へ降伏を勧める任務に失敗して部隊を離れたことから数奇な運命をたどり、ついにはビルマの地に残された無数の日本兵の亡骸を埋葬するために日本への帰国を断念します。その思いを帰国するかつての同僚たちに綴った手紙が日本への船上で朗読される場面で物語は閉じられますが、同僚たちが捕虜生活の中で出会った、水島上等兵としか思えない僧の不思議なふるまいの真実が次々と明かされ、水島上等兵の強い思いが感動とともに伝わってきます。

 歌で部隊をまとめた、若く思慮深い部隊長の、日本の軍隊としては異例な指導者の姿と、異国の地に残って仲間の亡骸を弔って歩く水島上等兵の姿は、作家竹山道雄さんが、ついに帰ることのなかった若き教え子たちに手向けた鎮魂歌のように思えてなりません。戦争が終わってからすでに70余年という時間が過ぎていますが、その思いは今の若い読者の皆さんにも変わることなく伝わることと信じています。

(代表 今村)

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