「ドブルーフッチ!」とは、スロバキア語の「めしあがれ!」です。直訳すると「良い味を!」という感じ。つくった人や食卓に同席する人が、食べはじめる人に向かってかける言葉です。
このエッセイでは、中央ヨーロッパの一国、スロバキア共和国に暮らす降矢ななが、思い出や経験をからめながらスロバキアのおいしいものをご紹介します。 さぁ、みなさま、ドブルーフッチ!
娘の七海子も私も、その瞬間を見てはいません。
裏庭に面した応接間の窓から見えていたのは、ジャンパーを着た男たちが、地面の上に置いた板の上にごろんところがったブタの毛をバーナーで焼いている様子でした。
当時2歳だった七海子の横にすわったおばあちゃんが「あれは、ブタちゃんじゃないよ。ブタヤロウだよ」と言っていたのが、忘れられません。スロバキア語には、親しみを込めて呼ぶ「ブタ」と、さげすみ悪口に近い「ブタヤロウ(と私が理解している)」と、2つの単語があります。おばあちゃんは、屠畜作業が子どものトラウマにならないように、窓の外をじっと見ている七海子にそう語りかけてくれていたのです。
冬の日暮れは早いです。暗くなっていく裏庭で、義父や夫のペテルたちが、冷たい水で洗いながらこそぎ落とすように焦げた毛を毛根ごと抜き取ります。次に腹を切り開き、破れないように慎重に消化器系の内臓を取り出していきます。
ブタの解体というと皆さんは、頭を下にして吊り下げられたブタの体をイメージされると思います。しかし、ペテルの実家では、地面にブタを寝転がしたスタイルで作業を行います。吊り下げることのメリットは、肉を下手に汚すことなく、作業自体もやりやすいこと。それをやらないメリットは、一人でひっそりと作業できること。
チェコスロヴァキアが社会主義時代だった時、ザビーヤチカ(屠畜)を行うと税金がかかりました。戦後まもなくは肉で、その後はお金で、税金を支払うのです。実家は、(チェコ)スロヴァキアの中でも貧しい東の端っこです。質素な暮らしの中で丹精込めて育ててきたブタを、自分の手で殺して食肉にするのに、なぜ国に税金を払わなければならないのでしょうか。そこで、今は亡きペテルの祖父は、税金を払わなくてもすむように、秘密のうちに一人でザビーヤチカをする方法を考えたのだそうです。
同じ(チェコ)スロヴァキアの中には、ザビーヤチカをにぎやかに行う地域もあります。立派なブタを吊り下げ、解体して、集まった村人たちといっしょに作業をし、大きな鍋で煮込んだり、焼いたりした肉がお酒と共に振舞われる。そんなお祭りのようなザビーヤチカもあります。しかし、ペテルの祖父は、冬の裏庭で一人でひっそりブタを解体していたのです。
そのやり方は義父に受け継がれましたが、この日は、息子、娘の家族も助っ人に集まり、和気あいあいの共同作業。ガレージには、大きなテーブルが運び込まれ、即席の解体作業場になりました。塩漬けにしハムやベーコンになる部分、カツレツにしたら美味しそうなロース肉……大きく切り分けられた肉の塊が、天井から吊り下がった金物のカギに引っ掛けられ、ぶら下げられていきます。頭や心臓、皮などは台所の大鍋で香辛料といっしょにぐつぐつ煮込まれ、Tlačenka(トラチェンカ)とよばれる肉のゼリー寄せになります。昔はブタの胃袋を使っていたそうですが、今は筒状のビニール袋に煮込んだ材料を流し込み、糸で縛って口を閉じ、冷やして固めます。肉は骨からはがれ、皮がプルプルに煮込まれた材料はとても熱くて、口を縛るのも一苦労です。レバーや肺は脂身の多い部分の肉いっしょにミンチになり、お米とまぜてJaternica(ヤチェルニツァ、茹でた内臓肉の腸詰)に。脂身からはラードを作り、残ったカスも捨てずにラードでカリカリに揚げて食べます。
基本、ブタを殺して解体する力仕事や、寒い外での作業は男たちが行い、台所での調理作業は女たちの担当でした。私には、いつもは口が達者で下ネタ好きのお調子者に見えていたペテルの兄さんが、黙々と手早く義父のアシストをしていたのが印象的でした。作業台の汚れを台布巾でピシッピシッとふき取り、次の作業を準備する彼の横で、義父がKlobása(クロバーサ、薫製の腸詰)用のひき肉に塩やパプリカを振り入れ、手で豪快にかき混ぜていました。ペテルの動作には何となく無駄が多くて、末っ子の彼が小さい時からこんな風に家族みんなで作業していたのだろうなぁと、私は一瞬タイムスリップしたような気持ちになってしまいました。
ところで、私たちの心配をよそに、大人になった七海子はこの日のザビーヤチカのこともまったく覚えていないそうです。老婆心とはよく言ったものです。