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偕成社文庫100本ノック

第73回(プレイバック中!)

天保の人びと

2020.01.07

『天保の人びと』かつおきんや 作

『天保の人びと』は、実際におこった農民一揆をもとに、「松吉」という12歳の少年を主人公に据えて物語として昇華させた歴史児童小説です。
  舞台は天保9(1838)年、の加賀藩石川郡。不作に苦しむ百姓たちは、年貢を減らしてもらおうと、奉行所に連名で「見立て願い」を提出します。その中に、松吉の父・間兵衛の村、西念もふくまれていました。願いは意外にも聞き入れられたかに見えますが、これは奉行所が仕組んだ罠で、形式だけの「見立て」が行なわれ、間兵衛たちは投獄されてしまいます。そんな間兵衛とほかの百姓たちを助けるため、松吉とその友だち、おふみと正市たちは奮闘しますが……。

 読んでいると、奉行所と百姓たちの間に立っていくつかの村の年貢を取りまとめる役割・十村の田辺次郎吉に、思わず腹が立ってきます。不作で米がとれないといっているのに、「そんなことは許されない。文句は年貢を払ってからいえ」なんて理不尽なことをいったり、間兵衛たちが投獄されてからも「年貢を払えば釈放される」と嘘の条件をいいふらし、百姓たちの気持ちを揺さぶったり……。「こいつ、ほんとヤなやつだなあ…」と、いらいらが募っていくのですが、間兵衛たち百姓は、それでも静かに耐え忍びます。それだけ、当時のくらしに明らかな身分の差があったのです。

 しかし、物語の中で松吉が明らかにするように、百姓たちを苦しめる奉行たちもまた、幕府からの締め付けを受けていました。「だからといって、間兵衛にした仕打ちを許されるものではない!」と、心の狭い私などは思ってしまいますが、どんなに「ヤなやつ」でも、それぞれに守るべき家族や、立場や権利があり、その重なりでものごとの全体が形づくられている。そんなことを思い出させてくれます。

 著者のかつおきんやさんは、金沢市内の中学校で教師をしていたとき、家庭訪問の途中でぐうぜん西念という町の入り口にある大きな石碑に出会ったことから、この物語を書くことになりました。熱心な生徒たちの協力も得て、10年にわたる歳月をかけて史実を調べあげ、フィクションの要素もとりいれながら、天保の人びとのようすを生き生きと描いています。かつおさんは単行本のあとがきに、創作をふりかえって「たかだか百三十年かそこらの昔のことなのに、さっぱりわからない、それをもっと調べて書かなくては」と書いています。

 彼らが生きた時代を思うとき、いま生きているわたしたちの時代について思いを巡らせます。なにげなくくらしている「今このとき」も、いつかは過去になる。しかし、そんな今も未来も、この天保の人びととつながっています。そんな視点をもつことで、私たちのふるまいもいくらか変わるような気がします。

 いまではほとんどなくなってしまった、日本の米作りの原風景が豊かに描かれていることや、個性豊かなキャラクターがたくさん登場するのも、この物語の大きな魅力です。間兵衛のところではたらく、声が大きくとぼけた感じもある、がんこおやじの”孫市じいま”や、体は弱いが、村一番の切れ者の”又右衛門”、みんなからは「やくざで道楽者」と疎まれながらも、稲刈りの名人で困ったときに頼りになる”余助”など、そこに登場するのおとなたちは、身分も低く身なりもきれいではありませんが、どんなお殿様や侍よりもかっこいい存在です。

 物語の最後では、松吉たち一家は五箇山というところに流罪にあってしまいます。しかしその道中、松吉と年の近い兄である孝蔵は、崖に落ちたと見せかけて、五箇山へ向かう隊列から逃げ出します。家族といっしょに五箇山へ向かう松吉と、自由と自立をもとめてべつの道へをえらぶ孝蔵。このつづきは、「かつおきんや作品集」の『五箇山ぐらし』『雪の人くい谷』(いずれも偕成社、品切重版未定)という続編で読むことができますので、気になる方は図書館などでみつけて、ぜひ読んでみてくださいね。

 江戸時代の民衆の暮らしを知るきっかけにも、ぜひどうぞ!

(編集部 丸本)

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