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偕成社文庫100本ノック

第56回(プレイバック中!)

片耳の大シカ

2019.05.07

『片耳の大シカ』椋鳩十 作

 私の住んでいるところはたぶん都会に分類される場所だとおもいますが、それでもたまに野生動物に出会います。タヌキです。びっくりします。大きめの猫がいるな、とおもって近よると、それは猫にはない奇妙なオーラを放っているほ乳類らしきもので、あ、これ以上ちかよってはいけない、というピリピリした感じをうけとります。それは、自分がふだんは使っていない部分で感じ取ったもので、かなりテンションがあがります。あがるのですが、次の瞬間、その生き物と目が合い、うはあ……やばい……とビビりまくって家に帰ります。タヌキひとつと対峙しただけで、もうなにもできない、という気分になるのです。野生動物を見ると、そういう「畏れ」のような感情をいつも抱きます。

『片耳の大シカ』は、忘れてしまいがちな、その「畏れ」を思い出させてくれる本です。全部で10編のおはなしそれぞれに野生動物が登場します。表題作「片耳の大シカ」では、「狩人の手から、いくたびも、あぶない命をのがれて、すっかり狩人のやり口をおぼえこんでしまった」大シカと、その大シカをいつかしとめたい狩人たちとのやりとりが描かれます。表題作になるだけあって、手に汗を握る展開。大シカを追いつめる狩人、大シカに飛ばされていく猟犬、夜は迫り、大雨が降り出し、一転狩人たちが追いつめられ……。自然の手のひらの上で人間が踊らされていることを思い知らされます。つねに堂々としている片耳の大シカがとにかくかっこいい。そんなあなたをしとめようとしていてすみません……。理想の上司No.1です。

 人間が出てこないお話もあります。私は「暗い土のなかでおこなわれたこと」という掌編が好きです(タイトルがまずかっこいいですね)。モグラのおかあさんと、アオダイショウのまさに命をかけた戦い。おかあさんには守るべき子どもたちもいます。かといって、アオダイショウも久しぶりのごちそうを逃すわけにはいきません。すべてが終わったあとの1行がすばらしい。「これは、だあれも見ている人のいない、死んだようにしずかな、暗い暗い、土の下の世界でおこなわれたできごとでありました。」ガーン!ちょうパンク!とぶっとびました。

 どのお話からも、人間とほかの動物との境界線は明らかにあるのではなく、おなじ「動物」というなかにそれぞれが存在している、ということがびしびし伝わってきます。自分の小ささに凹むことがたびたびありますが、「人間ひとりなんて小さくてあたりまえだろう」、と大シカにはげまされたような気がしました。悩み多き新年度のはじまりに、ぜひどうぞ!

(編集部 秋重)

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