今年の1月末、お仕事で「新美南吉記念館」へお邪魔してきました。
新美南吉といえば、『ごんぎつね』が有名ですよね。多くの『ごんぎつね』の絵本の中でも、黒井健さんの絵のものは「あ、知ってる!」という方が多いのではないでしょうか。こちら、偕成社の本です。……というといきなり宣伝っぽいですが、つまりその辺のご縁で、記念館へお邪魔したというわけなのです。
さて、今回ご紹介する偕成社文庫もタイトルは『ごんぎつね』。こちらは新美南吉の童話集で、表題の『ごんぎつね』の他、いろいろなお話14編が入っています。
新美南吉はわずか29歳で亡くなった若い作家です。でもその作品のずっしりとした重さや、「命」や「人の気持ち」の描写は、まるで長く長く生きた人の語る言葉のようです。『ごんぎつね』を書いたのが18歳のとき、と知ったときは、なんということ!とショックを受けました(比べるものではないと知りつつ……)。
この文庫の中に『屁』という一作があります。そう、「おなら」です。
いつもへらへら笑って、ボーッとしていて、みんなによくからかわれる石太郎の特技は、なんと「おならをすること」!授業中おならをしてはみんなに「また石太郎だ!」とワイワイからかわれ、石太郎はニヤニヤ。どんくさくて田舎くさい石太郎を、クラスのしっかり者・春吉はちょっと疎ましく思っています。
ところがある日の授業中、春吉は我慢できずにおならをしてしまいます。するといつものように「あっ、くさ」と誰かが言い出し、春吉が言い出せないうちに、みんな「また石太郎か!」「くさい、くさい!」と盛り上がり、おならは石太郎のしたものと勘違いされます。石太郎は何も言わず、へらへらするだけです。
自分はちゃんとしているのだ、という自負のある春吉は、何度も言い出そうとするのですが、タイミングを逃し、翌日になっても、その次の日も、言い出せません。そしてだんだん、(きっとみんな少なからず、じぶんのおならを石太郎のせいにしているんだろう)と考えるようになるのです――「心のどこかで、こういう種類のことが、人の生きてゆくためには、肯定されるのだと春吉には思えるのであった」(P62)。
愉快そうなタイトルからは想像の出来ないお話で、設定や始まりが明るいだけに、より深く考えてしまいます。
他にもこうした、ちょっと愉快で、読んでいくうちに真剣になるお話が並んでいます。文章に散りばめられた、南吉の可愛らしい言葉遣いも魅力です。
むかし読んだけど、だいぶ忘れちゃったなあ、という方がいらっしゃったら、ぜひこの文庫版で、もう一度南吉作品を読んでみてください。
(販売部 松野)