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偕成社文庫100本ノック

第37回(プレイバック中!)

しろばんば

2018.08.14

『しろばんば』井上靖 作

 編集部<わ>さんの依頼により、急遽代打で初投稿の編集部の<ふ>です。依頼昨夕、締切今夕。昨晩はやらねばならぬ仕事あり、今朝は5時から日本のワールドカップ第三戦。って、そいつはムチャだよ<わ>さん。とも言ってはいられない。こういうときはやはり読んだことのある本ですね。というわけで井上靖『しろばんば』です。

『しろばんば』は、井上靖の自伝的小説で、伊豆・湯ヶ島で過ごす一人の少年の日々が淡々と描かれます。折にふれてなんども読み返してきた、私の大好きな作品。

 なにが好きかって、まずここで描かれる伊豆の美しさ。山があって川があって田圃があってという、昔話のような伊豆の風景が描かれます。私自身のガキンチョ時代をなつかしく思い出さずにはいられません。
 私が育ったのは東京の多摩丘陵で、35年ほど前はまだかなり自然が濃かった。透きとおった川底に水草がゆらぎ、もぐればハヤのうろこがキラリと反射して胸がおどりました。まわりの田んぼには、小エビやらおたまじゃくしがわんさといて、近くには湧き水を 集めた用水路があって、泥だらけの体を洗って帰りました。
『しろばんば』を読んでまず思い出すのは、そんなことです。

 そして、主人公・洪作の魅力です。この少年は、親元をはなれて、血のつながりのないおぬい婆さんとともに暮らしていて、寝起きするのは土蔵の2階。窓からはザクロの木ごしに「夏には青い稲田が、冬は冬枯れた黒っぽい稲の切り株のおかれてある田圃」が見え、「ずっと遠くにおもちゃのような形のいい小さい富士が」のぞめる、そんなところ。

 この洪作、なんだかとらえどころのない、ぼんやりした少年で、ボクはとっても好きなんです。なに考えているんだかよくわからない。
 あるとき、近くに住む曾祖母のが亡くなり、とくにかわいがられた記憶もない洪作でしたが、どうにも悲しくなって大泣きします。そこへ、遠くはなれて暮らす母が葬式のためにもうすぐ湯ヶ島へやってくることに。するとこの少年は「昨夜曾祖母のために大声を出して泣いたことなどすっかり忘れてしまって、母親がそのためにくるのなら、おしな婆さんなどとうに死んでしまえばよかった」などとのたまう。この親近感。ボクはユーモアとはなにかを、この洪作の性格から教わった気がします。
 また、洪作に惜しみなく愛情を注ぐ一方で、洪作の本家の悪口に余念のないおぬい婆さんも、そこはかとないおかしみを感じさせてくれます。土蔵の階段をいつも「どっこいしょ、どっこいしょ」といいながら上がってくるんですよね。
 この小説では、大人、子どもにかぎらず、こうした味わいのある人がたくさん出てきて、みなそれぞれ精一杯に生きています。そうしたところもこの作品の魅力です。

『しろばんば』は、『夏草冬濤』『北の海』と続き、「井上靖の自伝的小説三部作」として、少年の成長が描かれます。もちろんここでも、洪作の「ぼんやりとした明晰さ」みたいなものは健在で、なかなか笑わせてくれます。

「折にふれてなんども読み返してきた」と書きましたが、今回読んだのは5,6年ぶりぐらい。高田勲先生の親しみのある絵もすばらしい。
 W杯敗退のどんよりムードを吹きとばす、さわやかな読後感で、それも<わ>さんの依頼のおかげ。ありがとうございました。

(編集部 藤田)

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