学校には、いろいろな試練の場面があります。たとえば、日々のテスト、体育や音楽など実技の授業、運動会。うれしかったり、くやしかったり、そのときの結果によってさまざまな思い
教室にいたのは空中をはばたく、スーツを着た小さなおじさん!?
主人公の木下始は、転校生。教室であいさつをしようとしたとき、始は宙をただようへんなものをみつけます。それは、くたびれたスーツを着た小さなおじさん(!)。
身長20cmくらいの羽のはえたおじさん。はじめて始に存在を認識されて、びっくり!
始はおもしろくなって、この小さな人とおしゃべりをするうちに、この人は、びりっかすの生徒(始はまだ成績がないので、このクラスでビリなのです)にだけ見える特別な神さまだということを知ります。実は、このクラスは成績順で席が決められ、こと最近、担任の市田先生の「競争させよう」という気概が強くなっているのですが、それとともに、このびりっかすの神さまは存在がはっきりしてきたようなのです。
はじめは、神さまと、始だけがをとっていたのですが––––実は最近、がんばりすぎた父親を亡くしたことも始の心の片隅にありました––––、やがてそのことを知ったみんなが一目その神さまを見たいと、いちばんビリの人にあわせた力を出して、ビリをとりはじめ……。
「びりっかす」仲間はどんどん増えていき、やがてクラス全員に…?
物語で描かれるふたつのこと。みんなが気づいた大切なこととは?
この物語では、ふたつのことが描かれます。
みんなで協力しあうことという良い面
なにも0点だけがビリではありません。神さまが「みえる」仲間がふえるうちに、みんなは同点だけどより高い点数でビリをとるべく、心の会話をして協力しながら、互いに勉強を教えはじめます。「競争」にとらわれて、支え合う「クラスメイト」という関係から遠ざかり、「競争相手」として分断していたクラスのみんなの間に、自然な友情が生まれはじめます。
わざと力をぬいて周りに合わせるという悪い面
神さまを見たいがために、もうすこしできる子でも、わざと力を抜くことが日常になってしまったクラス。始たちは、やがてその姿勢に疑問をもちはじめます。わざと手を抜いた人に勝って、相手はうれしいのだろうか? 「合わせる」ことはいつも良いことなのだろうか? では、一方の「勝ち負け」を楽しむことはいけないことなのだろうか?
やがてみんなは、競争での勝ち負けよりも、大切なことに気がつきはじめます。さて、みなさんは何だと思いますか? ぜひ、本で確かめてみてくださいね!
小学校の先生を長年つとめ、子どもたちを見てきたからこそ描ける、子どもたちの視点に寄りそった、岡田淳さんの物語。物語がすすむにつれ、お互いが成績以外のそれぞれの人間性をみはじめ、これまでクラスでもあまり目立たなかった子たちの魅力が発揮されはじめるのもおもしろいところです。夏休みの読書に、ぜひおすすめします。休み明け、きっとクラスでみえる風景がちょっと変わるはず!