考えてみたら、それは奇妙(きみょう)な店だった。
いつも野球をやる公園の広場が、工事で使えない。だから、交番の前の道をぐるりとまわって、お寺の近くにある空き地まで、足をのばさなくてはならなかった。
あまり来たことのない場所だ。
近くに見える大きな病院の古い建物は、おばけが出そうな雰囲気(ふんいき)だったし、神社のそばの橋をわたると、小川の音がざあざあと大きく聞こえて、なんだかずいぶん遠くまで来てしまったように感じた、そのとき、
「シーリコンダマ~」
奇妙な声が聞こえてきた。
「シリコンダマは、いらんかね~」
縁日(えんにち)に出る露店(ろてん)みたいに、道ばたの台の上になにかをならべて、物売りをしている男がいる。
「シリコン玉って……?」
どこかで聞いたことがあるんだけれど、どういうものだったっけ。
首をかしげながら、台の上を見たとたん、
「なんだこりゃ?」
思わず見とれてしまった。
台の板の上には、半透明(はんとうめい)のゼリイみたいにぷるぷるしたものが、いくつもならべられている。それぞれ、ちがった形と大きさの――まあだいたい、おとなの手のひらよりも少し大きなサイズぐらいまでの――もので、お皿に乗っていないところを見ると食べ物ではないのだろう。それでも、なんだか、やわらかいものらしく、台の上で、ぷよぷよと動いている。
「おじさん、これって?」
おじさんは、にやりと笑った。
「さわってみるかい?」
おそるおそるさわってみると、手の中で、ぐにょっとした。変な感触(かんしょく)。水まくら? それとも、スポンジ? いや、もっと、やわらかい弾力(だんりょく)があって、なんだか、不思議なような……なつかしいような……。
「ほら、持ちあげてごらん」
どろりと重い。
ゆっくりと持ちあげると、大きなオタマジャクシみたいに見える。しっぽをつかんで、ぶらさげたようなかっこうだ。すると――そのかたまりに、ぼんやりと色がうかんだ。
桜や桃のような、春の花のあわい色が、どんどんこくなって、まるで夕焼け雲のようだ。
「きれいだろう。これのもとの持ち主は、夕焼けをながめるのが好きだったからな」
「え?」
そのとき、手の中でそれがぶるりと、生き物のようにふるえた。
おどろいて、思わず手をはなすと、それは、板の上に、どろりと落ちて、ぷるんとふるえた。その瞬間(しゅんかん)、板の上にならんだほかのものまでが、ぶるぶるとふるえだし、それぞれが、色を変えた。赤、黄、紫、青、緑……。
「空の雲の形が、それぞれちがうように」
おじさんは、長い手をのばして、なんだか、うれしそうにいった。「こいつらは、みんな、自分らしさを持ってるのさ」
「こいつらって……これはいったいなに?」
「シリコンダマさ」
「そう、シリコン。どこかで聞いたことあるんだけれどさ。シリコンって何だっけ?」
「きみは、そんなことも知らないのかい?」
後ろから声がわりこんだ。びっくりして、ふりむくと、そこにいたのは同級生の史郎だ。
「シリコンとはケイ素のことだ。自然界に存在する元素のひとつだよ。元素記号はSi」
けいそ? げんそ? えすあい……? いったい、なんのことだろう? 史郎は、クラスで一番、頭がいい。でも、いつもむずかしいことを言って、ほかの生徒を見くだしてしまう悪いクセがある。
「純粋(じゅんすい)なシリコンは、半導体の材料になる。スマホやゲーム機の重要部品だが……ここにあるやわらかい素材は、化合物だね。シリコン樹脂。もしくは、シリコーンともいう」
うわ。ますます、わけがわからない。でも、史郎の目はかがやいている。
「それにしても、これは美しい! まるで、銀河を閉じこめたかのようだ……」
おじさんはうれしそうに、
「ほう……。きみは、本当に価値がわかるようだ。これを作る工場を見せてあげようかね」
ぼくもいっしょに行きたかった。でも、史郎が、きみが見ても理解できるのかな、などというものだから、行くのはやめてしまった。史郎は、うれしそうにおじさんのあとをついていく。
そのあと、家に帰って、あの川の話をしたら、おばあちゃんが、
「もう大むかしの話じゃが……あの神社のそばの川には、悪い河童(かっぱ)がでてのぉ。人間の尻子玉(しりこだま)をぬくんじゃ」
「え、シリコ……玉?」
「たましいみたいなものでの。河童は、長い手で、人間の尻の穴に手をつっこんで、それをぬきとるんじゃ。河童は尻子玉を集めるのが好きでの。だが、それをぬかれた人間は……」
川のそばで、ぼぉっとなって歩いている史郎が発見されたのは、次の日のことだった。それ以来、史郎は、あまりむずかしいことをいわないようになってしまった。
井上雅彦
1960年東京生まれ。星新一ショートショートコンテスト’83で作家デビュー。ちょっと不思議で怖い物語が得意。短編集『四角い魔術師』(出版芸術社)、長編『夜の欧羅巴(ヨーロッパ)』(講談社)などがある。99年に日本SF大賞特別賞を受賞。
イラスト:アカツキウォーカー