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ショートショートの扉

第1回

スイミングコーチ

江坂 遊

 この小さな一部屋が、国で認められたたったひとつの競泳選手強化訓練センターです。ここでわたしは、世界一速く泳げる選手をたくさん育ててきました。中へどうぞ。ドリンクはミルクしかありませんが、いかがですか。

 目の前の水槽をごらんになってください。サメを飼っています。でも、メダカくらいのミニサイズだから、とてもかわいいでしょ。お魚に興味をもっていただき、うれしいですわ。生き物がお好きなようでよかった。


このジョーズはショートショート諸島でつかまえてきました。仕事関係で知りあったご夫婦に、プレジャーボートに乗せていただきましてね。静かな湾内(わんない)の気にいったところで止め、そこで素もぐりを楽しむことにしました。わたしはかなり長い時間、水中メガネだけで酸素ボンベなしでもぐっていられるのです。
すみきった海の中には、あざやかな色の愛らしい生き物がいっぱい泳いでいます。まばたきする時間さえ惜(お)しいほどでした。

 そこからまた場所をかえ、次にボートを止めたところは、波がまったく立っていないところでした。その海面は水でできた真っ平らな床(ゆか)のようになっています。ドボンともぐってすぐにその場所がふつうではないことに気づきました。浅い海底近くに、五十メートルプール一個分くらいの広さの特殊(とくしゅ)な水のかたまりがプヨンプヨンとただよっています。おかしなものを見つけたものです。あきらかにその中と外ではちがう世界でした。その中の魚のサイズがみんな、外のものにくらべてミニサイズだったからです。つまり外からは中のものが十分の一くらいの大きさに見えるのです。思わず心のなかで『そんなバカな』とさけんでいました。ですが、わたしは全身が好奇心(こうきしん)のかたまりになっていたので、思いきってその水のかたまりの中に飛びこんでみようかと悩(なや)んでいました。けっこう、むこうみずなのです。決めました。

 徐々(じょじょ)に自分のからだが小さくなっていくのがわかりました。つまり、まわりのものがどんどん大きくなっていきます。いままで味わったことがない体験でした。わたしは十分の一になってなんとも幸せな気分になりました。顔の筋肉がゆるんでどうしようもなかったくらいです。
そのおかしな水のかたまりとふつうの海とが接している境の面は、まるで水槽の厚いガラスみたいになっていて、十倍大きな世界がそこを通して見わたせます。目がまんまるになりました。まさにワンダフル。いまでもそのときのことを思い出して、うっとりとする毎日です。

 さて、次の行動にうつらないといけません。ボートにもどると、持ってきていたペットボトルの中身を全部海にすてました。そうです。あの水をくみ上げようと考えたからです。空になったボトルのキャップをきつくしめる。そしてまたもぐって目的のふしぎな水との境まで近づく。空のボトルを水中で運ぶのは力がいりましたね。キャップをはずすと不思議な水をボトルの半分くらいまで吸いこみます。タイミングを見はからってキャップをしめ、次々と水面へ浮(う)きあがらせました。そうですよ、これでおわかりになられましたね。この水槽の中の水は、そのときくみ上げてきた水なのです。このジョーズもこの水槽の中にいるかぎりはミニサイズですが、本当は巨大(きょだい)な人食いザメというわけです。

 あぁ、秘密のトレーニング方法をお知りになられたいのですよね。お話してしまいますね。この水槽を使ってトレーニングをしています。わが国のオリンピック強化選手にこの水槽の中で泳いでもらうわけです。そうです。選手は人食いザメに追いつかれないように必死になります。記録はおもしろいように出ます。ぎりぎりまで助けません。ときには手おくれになる場合もありまして、足首をガブリなんてことも。

 あきれておしまいになられましたか。わたしが冗談(じょうだん)をいっているように聞こえましたか、それはもうしわけありません。ふふふ。信じてもらえないのでしたら、体験してもらうしかありませんわよね。ミルクに入れたお薬がそろそろ効いてくるころですからね。あなたはもうすぐほかではできない体験をされることになる。あなたが世界一の競泳選手ならそうはなりませんが、ええ、ジョーズにもときどきはエサをやらないといけませんでしょ。


江坂 遊
1953年大阪生まれ。星新一ショートショートコンテスト’80で「花火」が最優秀作に選ばれデビュー。星新一の教えをうけ千篇以上の作品を執筆。『花火』『無用の店』(光文社文庫)はその代表的な作品をまとめたもの。

イラスト:アカツキウォーカー

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今日の1さつ

2年前から一人暮らしです。書店で本を目にして、トガリネズミの愛らしいすがたに、つい買ってしまいました。主人公がとてもかわいくて、1ページ、1ページ色んなことを想像して、楽しくて、最後読み終わったとき、「そっか〜良かったね」と声が出てしまいました。ほんわかとやさしい気持ちになり幸せでした。(60代)

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