「もしもアンネのようなかしこくて勇気ある少女が、キンダートランスポートでイギリスに逃れていたら?」
『アンネの日記』の愛読者である作者ヘレン・ピーターズは、このような想像をめぐらせて、『アンナの戦争』(尾﨑愛子 訳)を執筆しました。キンダートランスポートでイギリスにわたった少女アンナが、知恵と勇気をふりしぼって生き抜いていくさまを、緊迫感たっぷりに描いた物語をご紹介します。
※キンダートランスポートとは、ナチ政権下で命の危険にあったユダヤ人の子どもたちを、イギリスなど各国の家庭が受け入れた活動を指します。
迫害からのがれるために、アンナはたった一人で海をわたることに
ときは1930年代。ドイツではナチの一党独裁政治がはじまります。12歳のアンナは両親との3人暮らし。親戚や知り合いのユダヤ人たちがナチによる迫害をおそれて次々と国外へ脱出するなか、3人はドイツでの暮らしをつづけていました。
転機となったのは、1938年11月11日。一夜のうちにドイツ各地のユダヤ人の家や商店、シナゴークが次々と襲撃されるという、のちに「クリスタルナハト(水晶の夜)」と呼ばれる事件が起こりました。アンナの家も襲撃を受け、お父さんは収容所に連行されてしまいます。
お父さんはなんとか収容所から解放されたものの、いよいよ身の危険を感じた両親は、幸運にも空きのあったキンダートランスポートを利用して、アンナだけを国外に行かせることにしたのです。
最初の試練は、赤ん坊を守ること
いよいよ列車に乗りこむとき、お母さんはアンナにこう伝えます。「幸せになるように努力しなさい。いつも人にやさしくね。それから、あたえられた機会はすべて、最大限に生かすのよ」(このことばはのちに、悲しみと不安に押しつぶされそうなアンナの支えとなり、生きる指標となっていきます。)
列車がすべりだしたとき、ひとりの女性が必死の形相をして列車に近づき、窓からアンナにバスケットを託しました。「お願い。わたしの赤ちゃんの世話をして。イギリスにつれていって。お願いよ」そこに入っていたのはなんと、白い毛布にくるまれておとなしく眠っている赤ん坊でした。
その赤ん坊はもちろん、キンダートランスポートの名簿には載っていません。アンナは、たよれる大人がいない列車で、赤ん坊にミルクを与え、おむつを替えなくてはいけません。それでもアンナは、赤ん坊の母親のことばを思い出して、監視の目を光らせているドイツ兵に毅然として立ち向かい、なんとか赤ん坊をいっしょにイギリスまでつれていくことができたのです。
納屋にひそむあやしい男の正体は?
ようやくたどりついたイギリスでは、農場で暮らすあたたかな家族に迎えられますが、農村での質素な生活と、慣れない英語にアンナは苦労が絶えません。さらに、イギリスとドイツの間で戦争がはじまったことで、両親との連絡もとりづらくなったうえ、学校では「ドイツのスパイ」というあらぬ噂をたてられてしまいます。アンナは、忙しくしていれば悪いことは考えなくてすむ、と家の手伝いや英語の勉強にどんどん没頭していきます。
そんなある日、納屋で、足をけがした男がかくれているのを見つけたアンナと里親家庭の姉弟たち。男はイギリス兵だといいますが、あるときその男がドイツ語をつぶやくのをアンナは耳にしてしまいます。その男はドイツ軍のスパイなのか? アンナたちの張り込み調査がはじまり、ここから物語は大きく動きだすのです。
史実を題材につむがれた、息つくまもないサスペンス
本作は、史実をとりいれてえがかれたフィクションです。物語前半の、アンナがドイツからイギリスへ移動するようすは、実際にキンダートランスポートで海をわたった子どもたちの日記を参考にして書かれています。後半の章タイトルにつかわれている小冊子『侵略者がきたら』も、当時のイギリス政府が実際に発行したものです。
作者の綿密な調査と想像力によって、本作はページをめくる手がとまらない、真に迫った物語となっています。
困難な状況になったときでも「ふしぎな気分がわいてきた。冷静で力強い気分だ。この状況を、わたしがなんとかしなければ。」と考え、知恵をふりしぼって危機を乗り越えていくアンナの冷静さと聡明さ、そして何よりも「あたえられた機会はすべて、最大限に生かす」強い気持ちに勇気づけられる一冊です。