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今週のおすすめ

差別こそが戦争への道––––いじめにあった妹がすごした日々とは。『わたしのいもうと』

『ちいさいモモちゃん』などの作者・松谷みよ子さんのもとに、あるとき若い読者から、一通の手紙が届きました。「わたしのいもうとの、話を聞いてください……」。いじめにあい学校へ通えなくなった妹のことを語ったその手紙に、心をゆりうごかされた松谷さんは、平和を願い、1冊の絵本を書きました。


わたしのいもうとの話

『わたしのいもうと』(松谷みよ子 作/味戸ケイコ 絵)は、このようにして、はじまります。

この子は
わたしの いもうと
むこうを むいたまま
ふりむいて くれないのです
いもうとのはなし
きいてください

 7年前、妹が小学校4年生のときに、転校先の学校ではじまったいじめ。ことばがおかしい、とびばこができない––––やがてクラスのみんなは、給食で配ったものを受け取ってくれなくなり、ついにだれも妹と口をきいてくれなくなりました。

 学校へ行かなくなった妹は、かたく心をとざしてしまいます。

ごはんも たべず
口も きかず
いもうとは だまって どこかをみつめ
おいしゃさんの手も ふりはらうのです

(中略)

かあさんが ひっしで
かたくむすんだ くちびるに
スープを ながしこみ
だきしめて だきしめて
いっしょに ねむり

 こうして、なんとか命をとりとめた妹でしたが、中学生になっても、高校生になっても、部屋にとじこもったまま。窓から同級生たちの楽しそうに登校する声がきこえる部屋で、なにかをするでもなく、だまってどこかを見つめる毎日が、ゆっくりと流れていきました。

 そして、そんな日が続いていくかと思われたある日、物語は妹がひっそりと命をおとす場面で終わります。

「差別こそが戦争への道を切り拓くのではないでしょうか…」

 松谷さんが筆をとるきっかけをつくった手紙を書いたのは、松谷さんの著書『私のアンネ=フランク』を読んだ若い娘さんでした。アウシュビッツにまつわるこの物語を読んだ彼女の手紙には、妹の話とともに「差別こそが戦争への道を切り拓くのではないでしょうか」と書いてあったそうです。

 松谷さんはあとがきで、この言葉にふれて、このように書いています。

そうですとも、そうなのよとわたしは、手を握りたい心持ちであった。おなじ日本人のなかでの差別は、他民族への差別とかさなり、人間の尊厳をふみにじっていく。アウシュビッツも、太平洋戦争でわたしたちが犯した残ぎゃく行為も、ここにつながる。そしておそろしいのは、おおかたの人が自分でも知らないうちに、加害者になっている、またはなり得ることではなかろうか。

 はじまりは、その人にとっての正義であったり、自分とちがうことへの疑問であったり、ささいなことだったり……ある人にとってはすぐに忘れてしまいそうなことが、だれかの心をこわし加害者になってしまうことがあります。わたしたちみんながそのことを心に留めること、理解しあう道をさぐることが、障壁を乗り越えていく術かもしれません。「ちがう」ことの衝突は、人間が共同の社会を生きる上で常につきまとうことであり、受け入れることはときに困難を伴うことですが、この1冊を、自分のまわりの世界をもう一度見つめなおすきっかけとしていただけたらと願います。

 *

 この絵本は、「静かに、子どもたちに平和の重さ、いのちの尊さを語りつぐ」絵本シリーズ「新編・絵本平和のために」というシリーズのなかの1冊です。ぜひほかの書籍もお手に取ってみてください。

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今日の1さつ

真っ黒な表紙にこれ以上ない直截な言葉「なぜ戦争はよくないか」の表題にひかれ、手にとりました。ページを繰ると、あたたかな色彩で日常のなんでもない幸せな生活が描かれていて胸もホッコリ。それが理不尽な「戦争」によって、次々と破壊されていく様が、現在のガザやイスラエルと重なります。(70代)

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