先生、おひさしぶりです。
ぼくは、相変わらず鳥の巣を探したり、絵に描いたり、展覧会で世の中の人達に鳥の巣を見てもらったりしています。以前、先生に、ぼくの鳥の巣の絵本を見ていただき、絵のことや絵本作りのことに対し、お褒めのお言葉をいただけたのは本当にうれしいことでした(そのお手紙は大切に取ってあります)。でも鳥の巣の実物をお見せできなかったのが、今もとても残念です。なぜなら先生は、絵や美術作品に対しても、とても造詣が深いから、実物の鳥の巣をごらんになったら、きっと喜ばれただろうなあと思うからです。
いま思うに、そんな鳥の巣を描いているぼくが、先生が書かれた『みずとはなんじゃ?』(小峰書店)のテキストに絵を描くことになったのには2つの偶然があったようです。1つは、ぼくが偕成社で鳥の巣の絵本をつくる編集担当だったMさんは、先生の担当でした。ぼくは、それを知り、以前から先生の絵本を敬愛していたので、できあがった鳥の巣の絵本を、先生に渡してもらっていました。お忙しい先生に、ぼくなどが会うのは恐れ多いと思ったからで、絵本を見ていただけるだけで満足だったのです。もう1つの偶然は、小峰書店で、ぼくの絵本を担当しているKさんも、先生の絵本の担当でした。ですから先生が『みずとはなんじゃ?』を制作中に絵が描けなくなり、「代わりをだれにしようか?」というとき、Kさんが先生に、「鈴木まもるは、どうか?」と提案したのです。先生は「アッ、あの鳥の巣の……」とわかってくださって、「OK」になったのでしょう。
そんなわけで絵を担当することになり、初めて先生のお宅に伺ってお話できたことも忘れられないことでした。小さいお子さんからでもわかる絵本にしたいという制作意図を伺いました。帰宅後、先生が描かれたラフの絵をもとにダミーをつくったのですが、ラフの中に、いわゆる水を表す水玉型が描かれていたので、その形をキャラクター的にして展開するという設定にしました。ダミーを持って再度訪問すると、「どうも最近の研究では水玉型にはならないようだ。だからその絵は使わないようにしよう」ということになりました。さらにテキストにあった「固体」「液体」「気体」という言葉も「小さいお子さんにはむつかしいからその言葉を使わない原稿を新たに書く。だからこれは御破算じゃ」とおっしゃったのです。常に正確さと、読者のお子さんのことを考えて絵本を作られているのだと強く感じました。もちろん先生は「御破算」にするつもりで言ったのでなく先生独特のユーモアだということはわかりました。ぼくは先生が新たに書き直された原稿をもとに、再度ダミーを描き直したのです。でも、先生の体調が急に悪くなられ、その後直接にはお話できなくなりましたが、娘の万里さんを介して、先生のご意向を伺いながらダミーを完成させました。そして先生に最終的にチェックしていただいている間に、鉛筆で下描きを始めていた時、先生の訃報が届いたのでした。
そのあとは……ただひたすら絵本を完成させようと絵を描いていました。でも、描いていると、『地球』や『かわ』『からすのパンやさん』『どろぼうがっこう』等々、先生が描かれた絵本のキャラクターが自然に描いている絵の中に出てきたのです。先生から、「ここはこんなにしたら?」とアドバイスを受けながら楽しく絵を描いている気持ちになってきました。
できあがった絵本をごらんになって、万里さんが、「かこはきっと『シャッポをぬぎます』と言うと思いますよ。」とおっしゃってくれました。
本当に先生に見ていただきたかったです。そして最近ぼくが取り組んでいる鳥の巣が恐竜絶滅と鳥への進化に大きな貢献をしているといった壮大な進化の物語を聞いていただきたかったです。
鈴木まもる
鈴木まもる
1952年東京都生まれ。東京芸術大学中退。「黒ねこサンゴロウ」シリーズで赤い鳥さし絵賞を、『ぼくの鳥の巣絵日記』で講談社出版文化賞絵本賞を、『ニワシドリのひみつ』で産経児童出版文化賞JR賞を受賞。主な作品に「のりものえほん」「きょうりゅうえほん」シリーズ、『せんろはつづく』『戦争をやめた人たち』、鳥の巣研究家として『鳥の巣いろいろ』『鳥は恐竜だった』など著書多数。かこさとしさんの最後の作品となった『みずとは なんじゃ?』で絵を担当する。