ボルネオの熱帯雨林を研究していたおじさんが日本に帰ってきたとき、ボクはおじさんから“秘密基地”をもらった。
ううん、これ、実は秘密基地でも何でもない、おじさんが熱帯雨林の観察するために使っていた個人用特殊小型気球、なんだけれどね。
どんなものかっていうと、背中に背負えるリュックくらいのサイズをしていて、ボタンひとつで、まず、碇が射出。なんかよくわからない原理でもって、地面に固定。んで、そのあと、ぷしゅって音とともに、2畳間くらいのすべての壁がすきとおっている部屋がふくらみ、そこに乗っかってスイッチ押すと、どういう原理なんだか、しゅるしゅるしゅるって部屋が上昇、地上40メートルでも80メートルでも、すきなところまで行けるんだ。
おじさんは、これを使って、熱帯雨林の観察をしていたらしいんだけれど、これ、別にめずらしいものではない。高いところで何か作業したいときには、結構使われている道具みたい。
けど。いまの日本の都市部では、これ、使い道が、ほぼ、ない。いや、だって、のぼれるのが最高80メートルだもん、これって普通の高層マンションより低いじゃない、わざわざこんな気球を飛ばさなくても、うちのクラスには、ここより高いところに住んでいる子、結構いるし。都市部でこんなもん飛ばしたら、なんか“のぞき”をやってるみたいだし。
だから、おじさん、ボクにこれをくれたんだろうけれど。
これをもらったぼくは、近くの河川敷に行って、これを使ってみた。
ぷしゅって音とともに、すきとおった部屋ができて、それに乗ったボクは、一気に地上80メートルの世界へ。
だから、これ、ボクは秘密基地って呼んでる。基地でも何でもないんだけれど。そもそもすきとおっているから、どこからでも見えてしまって、秘密でも何でもないんだけれど。(とはいえ、上空80メートルを見ているひとは、まずいないから、それに、ここまでのぼっちゃうと、下からじゃボクのことは見えないだろうから、これは、へんな言い方なんだけれど、“だれにでも見える秘密基地”になったと思う)
うん。ちょっとね。
ほしかったんだよ、ボク、秘密基地。
☆
別にね。ボク、いじめられている訳じゃない。ただ……クラスに居場所があんまりない、と、いうか。だれも知らないボクだけの場所、秘密基地がほしかったっていうか。
うん。何が悪いんだかわからないんだけれど、ボクって、友だちができにくい子だったらしいんだ。現実に、友だち、いないもん。放課後は、いつもひとりだもん。それが悪いだなんて思わない、けれどね……。
学校、行きも帰りもひとり。お昼休みは給食食べちゃうとあとはすることがない。ひとりでぽつんとクラスの中にいてもしょうがないから、図書館行っても、ひとり。これはしょうがないんだけれど……けれど。
河川敷の上、あたりには何もない、地上80メートルの世界で、ボクは深呼吸。
あたりには、本当に何もない。ずっとずっと下に、河。でも、この高さになると、もうよく見えない。まわりには、空。ときどきは、雲がうんと低く、近く見える。それだけ。
ここなら、ボクがひとりなのは、別におかしなことじゃない。まわりにひとがだあれもいないんだもの、ボクはひとりで当たり前だ。
ここで、ボクは、ゆっくり息をして、ゆっくり世界になじむように努力をして、ゆっくり、ゆっくり……。
ゆっくりあたりを見まわしていたら、ある日、ふいに、それが、目にはいったのだ。
どのくらい遠くにいるのかわからない、けれど、ボクのと同じ気球。同じ河川敷の、数百メートル先のところから、ボクのとおんなじ秘密基地が空に上がっている……?
☆
うわあ、うひゃあ、何だろこれ。この河川敷に、上空80メートルから観察したいものって……どう考えても、ないよね。そもそも、“観察するべき”ものが、まったくないよね、河川敷の上空80メートル。
で、翌日、ボクは、“秘密基地”をあげる場所を、100メートルくらい、ずらしてみた。
あいつのほうへ。そしたら、あいつも同じことをしたらしくて、ボクらの距離は、近づいた。その次の日も、そうしてみた。あいつも、同じことをしていたらしい。んで、わかった。
あの“秘密基地”の中にいるのは、ボクとそんなに年が変わらない子どもだ。
なんで、あいつは“秘密基地”を飛ばしているんだろう? それも、こんな何もない河川敷で。ひょっとして……あいつも、ボクと、おんなじ? 学校に、いる場所がなくて、いつもひとりで、でも、ひとりでいるところを他人に見られると息苦しくなってしまう、だから上空80メートルでひとりになっていた、そこでやっと深呼吸ができる、そんなやつ?
その次の日。ボクは、双眼鏡を手にして、相手のほうを見たんだ。そしたら……双眼鏡の視界にはいったのは、同じく、双眼鏡を持って、こっちを見ている男の子。
どきん。
ひょっとして、いま、ボクは、すっごいチャンスを目の前にしているのかな?
双眼鏡の中にうつるのは、相手が広げた段ボール箱に書いてある文字。
“明日 放課後 北小 屋上”
全身全霊でOKって意味をあらわしたくて、ボクは、両手で頭の上にまるのサインを作る。
☆
ボクが通っているのは、市立○○北小学校。そして、あの河川敷にいたんだ、あいつもきっと同じ小学校に通っているはず。その、屋上にて、翌日。
行ってみたら、屋上にはすでに碇があって、上のほうに、“秘密基地”。
あわてて、ぼくも、自分の“秘密基地”に乗る。
ボクと、そいつの秘密基地のあいだは、3メートルないくらい。
これで、2人で同じ高さにあがったら……んー……基地同士で、会話って、できるのかな? いや、それは、できないような気がする。いつもより、学校の屋上にあるぶん、10メートルかそこら高い世界で。ボクたちは、一体何をするんだろ。
それは、わからない。けれど。
ボクには、はじめての友だちができるのではないか。
そんな気が……ものすごく、したんだ。
新井素子
1960年東京生まれ。「あたしの中の……」が第一回奇想天外SF新人賞佳作に入選。「グリーン・レクイエム」「ネプチューン」で2年連続の星雲賞日本短編部門受賞。『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞受賞。作品に「星へ行く船」シリーズ、『未来へ……』『イン・ザ・ヘブン』など多数。
イラスト:アカツキウォーカー