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作家が語る「わたしの新刊」

母のことを初めてつづった泣き笑いエッセイ『お母ちゃんの鬼退治』小手鞠るいさんインタビュー

2022.09.21

「美人で、優しくて、がんばり屋さん。顔に似合わず、毒舌家。」小手鞠るいさんがそう語る、中年になって視力を失ったお母さんを描いた本が、同時期に2冊出ました。絵本『うちのおかあちゃん』と、エッセイ『お母ちゃんの鬼退治』です。今回は『お母ちゃんの鬼退治』について、小手鞠るいさんにたっぷりとお話を伺いました。

今まで小説などでほとんど描いてこなかったというお母さんを、今回書こうと思われたきっかけはなんですか?

きっかけは、数年前の日本帰国中、視覚障害のある方たちのイベントに出席して、みなさんといっしょに視覚障害を巡るいろんなお話をしていたとき、イベントに参加なさっていた編集者のCさんが、私の話に興味を抱いてくださったことです。
私はそのとき「うちの母には視覚障害がありますが、彼女は、言ってしまえばごく普通の、どこにでもいるような口やかましい母親で、毒舌家で、気も強いし、私たちは、しょっちゅう親子喧嘩をしていますし、いろいろと嫌なことも言われて泣かされたりもしていますし、『目が見えないから、かわいそう』などと、同情をしなくてはならないような人じゃないんです」というようなことをお話しした記憶があります。
要は、障害のある人に対して、むやみに同情したり、無理やり親切にしたりする必要は、ないのではないか、というような話です。その後、Cさんさんから「お母さんについて、書いてみませんか」とご提案をいただいたときには、とても嬉しかったです。しかも、絵本(創作)とエッセイ集の2本立て。このことも嬉しかったです。フィクションとノンフィクションの両方のアプローチで、母について書く。これは面白そうだと思いました。

本作の中でいちばんお気に入りの、お母さんのエピソードはどれでしょうか? また、もし本編に入りきらなかったエピソードがあればぜひお聞かせください。

いちばんのお気に入りは? と問われると、答えにくいです(笑)。
甲乙も付けられないし、順位も付けられないし、全部がいちばん好きと、お答えしておきます。
本書に書き切れなかったエピソードは、ありません。全部、書きました。書いていないことは多々ありますが、それは「書いてはいけないこと」であり「書きたくないこと」でもあるわけです。母と私のひ・み・つ! 
あっ、でもひとつだけ、思い出しました。本書には書いていないけど、とっておきのエピソード。母は、私が女の子だからといって、女の子らしい格好をしたり、家事をしたり、成長してからは、結婚をしたり、子どもを産んだり「したくなかったら、しなくていい」と、いつも言っていました。女なんだから、こうしなさい、と言われたことは一度もなかった。
そのことには、とてもとても感謝しています!

書く内容については、お母さんには内緒だったとのことですが、本ができたときのお母さんの反応がどんなご様子だったか、お聞かせいただけますか?

本ができあがったあとの感想や反応は、まだ尋ねていないのでわかりませんが、ゲラ(校正刷り)の段階で、父への手紙に少しずつ同封して、送ってありました。父はそれが届くたびに、母に読んで聞かせてあげていたそうです。
父からは「われわれの青春時代の思い出や、若かりし頃の話をよくここまで、うまくまとめ上げてくれた。たいへん感激している。お母ちゃんもすごく喜んでいる」というような返事をもらいましたので、きっと母も満足してくれたのだと思います。ただし、私が送ったゲラは、母が読んでも「気分を害さないだろう」と思えるものだけです(笑)。都合が悪い話については送っていません。こういうやり方が、母から学んだ親子円満の秘訣です(笑)

本作の挿絵になっているお父さんが描かれた漫画も、当時の空気を感じさせるものでとても味わい深いですね。
お父さんの漫画について、何かお聞かせいただけますか? 他にも描かれていたものは、あるのでしょうか?

父は若い頃から絵や漫画を描くのが好きで、得意で、趣味として描いていました。勤めていた会社の社内報に4コマ漫画を連載していたこともあったようです。
今回『お母ちゃんの鬼退治』の中で使った漫画は、父の描いた6冊のスケッチブックからの転載が中心です。うち4冊には、本人が生まれたときから、太平洋戦争、戦後を経て、母と結婚して私が生まれて、弟が生まれた直後までの夫婦と家族の歴史が描かれていて、残りの2冊は、アメリカへ遊びに来たときの旅行記です。現在、父の戦争体験を基にして私が物語を書き、父の漫画を添えて1冊の作品としてまとめる、という仕事を手がけています。(他社ですが)
父とは、メールではなくて、いまだに手紙で連絡を取り合っているのですが、毎月1、2通の割合で届く手紙には、いつも絵と文が書かれています。手紙も漫画形式ということです。私にとっては見慣れたものですが、人に話すと「わあ、すごいねぇ。いいお父さんだねぇ」と、みんなびっくりしますね(笑)

ご両親が、小手鞠さんの住むアメリカへ遊びに来たときの旅行記より①(クリックで拡大)

ご両親が、小手鞠さんの住むアメリカへ遊びに来たときの旅行記より②(クリックで拡大)

タイトルに込められた思いをお聞かせください。 

障害のある人は、障害という鬼と闘っている、というようなことを、本書にはちらりと書いたような気もするのですが、だからといって、本作は、母が障害という鬼を退治して、つまり、障害を乗り越えて生きた勇気と感動の物語ではありません。鬼というのは私にとっては、障害のある人を特別扱いにしたり、差別したり、偏見の目で見たりする、かわいそうな人、解放されていない人、悲しい社会の象徴です。
また、母は、戦争と、男尊女卑思想の持ち主である父親(明治生まれの私の祖父)のせいで、教育もろくに受けることができなかった世代の女性です。私の目から見れば戦争も、祖父も、母にとっては鬼だったのだと思います。
しかし、人が生きていく上で、もっとも恐ろしい鬼は、実は自分自身の中に棲んでいます。母は、自分の外側の鬼、のみならず、自分の内側の鬼も、見事に退治した人なのではないかと、私は思っています。だから、ひとりの人間として、私は母を尊敬しています。タイトルには、このような重層的な意味を込めました。

最後に読者にメッセージがあればお願いします。

母親を愛せないなんて、おかしい。子どもを愛せない母親なんて、いない。
どちらもよく耳にする言葉です。母の愛とは絶対的なものなのだと、私も思っていたことがあります。だから、母とどうしても仲良くできない自分は、どこかが間違っているのだと、自分を責め続けていた時期もありました。でも、責める必要などないのです。たとえ母親であっても、考え方が大きく違うこともあるだろうし、相性が良くなくて、気が合わない親子もいるだろうし、そもそも「母親とはこういうものだ」と、決め付けることこそが、おかしいのです。それと同じように、障害についても、「障害があるからこうだ」と、決め付けることはできません。
本書を読んで、今まで自分が「こうだ」と勝手に決め付けていた「こと」や「もの」や「人」が気持ちよくガラガラと崩れ落ちていったならば……そのあとには【とっても気持ちのいい、すがすがしい青空が広がっていますよ。さあ、深呼吸してください】––––これが私から読者の方へ贈りたいメッセージです。


小手鞠るい
1956年岡山県生まれ。同志社大学卒業。小説家。詩とメルヘン賞、海燕新人文学賞、島清恋愛文学賞、ボローニャ国際児童図書賞などを受賞。2019年には『ある晴れた夏の朝』で、子どもの本研究会第3回作品賞、小学館児童出版文化賞を受賞。主な作品に『アップルソング』、『きみの声を聞かせて』、『放課後の文章教室』、『庭』、『森の歌が聞こえる』、『ぶどう畑で見る夢は〜こころみ学園の子どもたち』、『初恋まねき猫』、『午前3時に電話して』など多数。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。

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