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作家が語る「わたしの新刊」

細やかな銅版画で描かれたあたたかな世界『くろいの』
田中清代さんインタビュー

2018.10.16

田中清代さんの新作は、女の子と、真っ黒くて不思議な「くろいの」との交流を描いたあたたかな絵本です。『トマトさん』(福音館書店)以来16年ぶりに作絵を手がけられ、しかも全64ページ、モノクロームの銅版画による絵本という意欲作について、田中さんにお聞きしました。


くろいの

––––まっ黒い体に大きな目が印象的で、一度見たら忘れられない「くろいの」ですが、どのようにして生まれたキャラクターなのでしょうか?

大学時代に描いていたスケッチの中に、目が印象的なおばけのようなものがあったのですが、まだ私が絵本デビューしたてのころに、そのスケッチを見たこの絵本の編集者から、「こういうのもいいですね」と言われたのが最初のきっかけです。
その後何枚かの銅版画で「くろいの」の前身となる絵を描いて、「このキャラクターで描いてみよう」と思ったのが2000年くらいだったと思います。
「くろいの」の発想の元には、「ムーミン」のシリーズや『砂の妖精』などの児童文学の影響もあると思います。

––––最初は「くろいの」がとても謎めいていて、ドキドキしながらページをめくりました。でも、おしゃべりはしなくても、礼儀正しくて、おだやかで、読み進めるうちにどんどん愛らしく思えてきます。田中さんにとって「くろいの」はどのような存在なのでしょうか?

はじめは自画像のようなイメージで描いていました。自分のことはふだんは見えませんよね。自分の意識って影みたいだな、と思っていた時期があるんです。
絵に描いて形になってきたら、「くろいの」はもっと友だちに近いものになってきましたが。

「何をしているかわからない」というのも、自分を投影しているところがあります。
私は路上でスケッチをするのですが、そういうときは、まるで得体の知れない「くろいの」のように自分を感じて、まわりの人に怪しまれないか、怖がらせているんじゃないかと内心はヒヤヒヤしている訳です。
ところが、そうしてスケッチをしているときに、いちばん好意的に接してくれるのが子どもたちです。よく「何してるの?」と話しかけてくれますし、こちらに「私はカレーが好き」とか、「このあいだこんな絵を描いたよ」などと、自分のことを話してくれたりします。以前フィリピンに行ったときには、「私も描きたい」「紙ちょうだい」となって、子どもたち数人といっしょにお絵かきタイムになったこともあって、とても楽しかった。そんな経験が、路上に出現する「くろいの」のヒントになっている気がします。

––––路上といえば、『くろいの』では街角の風景が印象的ですね。

美大をめざして美術研究所に通っていたときに、先生から「自分のテーマを見つけるのなら、写真をたくさん撮るといい」と言われました。静物でもなんでもよかったのですが、私は外を散歩して、気になるものを写真に撮るということを始めたら、とてもおもしろくなりました。ある程度、自分が好きなものがわかってきて、今度はスケッチを始めたのですが、小さな一軒家の電気の配線や、プロパンガスのタンク、水撒きのホース、ほうきとちりとりなど、生活感のあるものを描くと、なぜだか心がざわついたり、物語を感じたりするんですね。私は古い和風の家をよく描きますが、実は、これも歩きまわって見つけたモチーフの一つなんです。


––––作絵を手がけられた作品は『トマトさん』以来になるそうですね。

以前は挿し絵の仕事も多かったのですが、出産を機に挿し絵をお休みしまして、復帰後の絵本は作絵で、と決めていました。
娘が1歳になるころ仕事を再開するにあたって、版画以外の技法で、短い時間でも描ける別の絵本を作ることから始めようとも思ったのですが、なぜか気力がわかなかったんです。その時に、これからも限られた時間を捻出して仕事をしていくのだから、あと何冊絵本を作れるかもわからない。それなら、ずっとやりたいと思っていた『くろいの』を作ろう、と思いました。作品の構想や、育児と平行して制作する環境から、時間がかかりそうなことは分かっていました。実際に絵を描くだけで2年8ヶ月かかりましたが、完成できたのは、本当にやりたいことだったからだろうと思っています。

––––今回、銅版画によるモノクロームの絵本にしたのはどうしてですか?

もともと、モノクロームの絵が好きで、学生のころに2冊ほどモノクロームの絵本を作っていました。私が大学で学んだ銅版画という技法は、モノクロで表現するのにとても適しているんです。私の色をつけた作品は、黒い線と色面でできていて平面的になりがちなので、濃淡を駆使した奥行きのある空間を描きたいとずっと思っていました。
ずっと絵を描き続けてきたなかで、銅版画は、私にとっていちばん思ったとおりの絵が描ける画材です。また、今後は銅版画のよさも広めていけたらいいな、と思案しているところです。

––––田中さんがお気に入りのシーンがあれば教えてください。

「くろいの」が「ガラガラ、ガタン!」と家のガラス戸を開けているところ。
陽の当たる庭と縁側を描けたことが、本当にうれしいです。

それから、二人とも押し入れに入って、真っ暗になるシーン。二人がならんですわっている情景がかわいいのですが、このシーンはとびきり暗くなっています。暗闇はわくわくの始まりだと私は思います。

そして、屋根裏のシーン。場面を考えるときには、古民家のうねうねと曲った木材を使った骨組みを描きたいという動機がありましたが、絵本では太い木材から連想する森のような、不思議な場所に入っていきます。自然の中で出会える生き物たちと身近に暮らせたらいいなあ、という私の願望も入っています(笑)

––––暗くてこわい印象もある押し入れと屋根裏部屋ですが、女の子と「くろいの」が陽気に遊ぶ楽しい場所として描かれているのが意外でした。田中さんが幼いころの、押し入れや屋根裏部屋の思い出やイメージがありますか?

子どものころに、よく押し入れに入って遊んでいました。せまくて暗い場所に入ると落ち着いたような気がします。押し入れの中の屋根裏への羽目板が外れるようになっているのに気づいたのも子どものころで、ふだんはあまり目にしない、けれど大きな空間がそこにあるんだなあと思っていました。天袋に入っている父の古い持ち物を物色するのも好きでした。また、夜、布団に入った後に、天井裏をネズミが走る音も何度か聞きました。かわいらしい足音で、うれしかったのをおぼえています。
幼稚園のときには、お泊まり保育の前年の行事で、幼稚園で夕食を食べる夕涼み会というのがあったのですが、当日になって不安になり、押し入れに閉じこもって登園拒否したこともあります(笑)


––––お子さんがお生まれになってから初めての絵本になりますが、お子さんとの生活は絵本づくりに影響がありましたか。

「親ばか」を体験したことはとても大きいです。それまで描いていた子どもは私自身がモデルだったので、素直に美しく描くことができなかったんだということに、つい先日、気がつきました。きれいな子どもは他者であって、私らしくないと思っていたんですね。ところが、自分の子どもになると、親ばかもあるけれど、素直に美しいと思える。どこも歪んでいない感じがする。甘えたり怒ったりして、手のかかる娘だから、理想化ではなく、実感としてのことです。そんな感覚があって、初めて子どもというものを、自分のものとして描けるようになったと感じています。

原画を描きはじめたころには3歳になったばかりだった娘がもう6歳ですから、小さい娘との日々とともにできあがった本です。無意識のうちに、それがいっぱい詰まっているんだなと、しみじみ思います。


––––読者の方へのメッセージがあればお願いします。

「くろいの」を身近に感じてもらえたら、とてもうれしいです。かわいい、楽しい、怖い、いろいろな感じ方をする子がいると思います。どうぞそのまま、受け入れてあげてください。気に入ってくれたら、好きなときにいつでも、何度でも、絵本の中の「くろいの」に会いにきてくださいね。


田中清代
1972年神奈川県に生まれる。多摩美術大学絵画科卒業。1995年ボローニャ国際絵本原画展ユニセフ展受賞。翌年同選入選。以来絵本を主に、独自のタッチをもつ美しい本を作りつづけている。主な作品に『みずたまのチワワ』『みつこととかげ』『トマトさん』『おきにいり』『おばけがこわいことこちゃん』『いってかえって星から星へ』『ねえ だっこして』『ひみつのカレーライス』『白鳥の湖』『気のいい火山弾』『小さいイーダちゃんの花』など多数。

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