身振りや手ぶり、あるいはさわったり笑いあったりして気持ちを伝えあう、おばあちゃんと「ぼく」の大切な日々を描いた『おばあちゃんのにわ』(ジョーダン・スコット 文/シドニー・スミス 絵/原田 勝 訳)をご紹介します。
おばあちゃんと「ぼく」の、かけがえのない穏やかな日々
「ぼく」は毎朝、おばあちゃんの家に行きます。もとはニワトリ小屋だった家にひとりで住んでいるおばあちゃんは、「ぼく」に朝ごはんをつくってくれて、そのあと学校まで送ってくれます。
昔、ポーランドからカナダに移民としてやってきたおばあちゃんは、英語があまり得意ではありません。「ぼく」とおばあちゃんは言葉を交わす代わりに、身ぶりや手ぶり、あるいはさわったり、笑いあったりして、伝えたいことを伝えあいます。
「ぼく」の食べこぼしをおばあちゃんが拾ってキスをする一コマからは、おばあちゃんの育ってきた時代背景や、「ぼく」に対する深い慈しみが感じられます。
『ぼくは川のように話す』のコンビが贈る
文を手がけたジョーダン・スコットは、カナダの詩人。前作『ぼくは川のように話す』では、吃音に悩んだ自身の少年時代を描き、シュナイダー・ファミリーブック賞、ボストングローブ・ホーンブック賞を受賞しました。
絵を手がけたシドニー・スミスは、今世界的に注目されている画家のひとりです。彼が描く「光」に魅了された人のうちのひとり、絵本作家のみやこしあきこさんは、前作『ぼくは川のように話す』刊行時に寄せた書評でこう語っています。
私はシドニーさんの絵が好きだ。印象的な絵や言葉は、読み手の感情を呼び覚まし、心にのこり、励ましたり、自信を与えたりする。シドニーさんの絵本にはいつも、ずっとその一枚を眺めていられるような印象的な場面がある。(中略)
私が好きなのは、シドニーさんの描く光だ。シドニーさんはSNSでこの本の制作過程を小出しに見せてくれていたのだが、表紙の絵(スケッチだったかもしれない)を一目見たときから、一気にこの少年の世界に引き込まれた。小さい時、どんな楽しいことが起こるんだろうと胸を膨らませていた、夏の始めの気持ちを思い起こさせる。目の前が眩しくて、目をつぶっても目蓋の赤い景色が見えるような、とても強い光。
本作ではそのような眩しい光とはまた違って、おばあちゃんの居心地のいい台所に差し込む清々しい朝日や、おばあちゃんの庭にいる二人を祝福するような天気雨の輝きなど、さまざまな光の表現を味わうことができます。
絵本の後半では、おばあちゃんの身体が弱り、いっしょに住むようになったあとの、現在の「ぼく」の目線で静かに進んでいきますが、読み進めていくと、まったく言葉がなく、ひときわ静かな4ページがあります。
実はこの4ページには、最初は文章が入っていたのですが、「絵だけで表現したほうがいい」という画家の意向で、文章を無くしたのだそうです。「ぼく」とおばあちゃんの、言葉にたよらない親密さが胸にせまる、美しい場面です。ぜひ実際に絵本を開いてお確かめください。