「遠野物語」をご存じですか? 岩手県の遠野という地方に伝わる、さまざまなふしぎな話を、民俗学者の柳田國男が集めてまとめたものです。どの話も、どこの誰が体験した、というところまで具体的に語られます
それらを遠野に住む赤いカッパに語らせるというかたちで、児童文学作家であり遠野で幼少期を過ごした柏葉幸子さんが読みやすく再編集したのが、今回ご紹介する『遠野物語』(柳田國男 原作/柏葉幸子 編著/田中六大 絵)です。
1章 カッパ
遠野には、カッパがいるといわれる、カッパ淵というところがあります。カッパの好物のキュウリが置かれていたりと、現在は遠野の観光名所になっていますね。
偕成社の社員旅行でも、カッパ淵を訪れました! 竿の先にキュウリがつけられています。
あるとき友だちと遊んでいた女の子。ふと気づくと、家にあったくるみの木のあいだから、一緒に遊びたそうにのぞいている赤い顔の男の子がいました。「いっしょにあそぶべ。こっちさおんで。」と手招いたのですが、その子はそのまますっといなくなってしまったそうです。
それが、カッパでした。みどり色と思われがちなカッパですが、遠野のカッパの顔は赤いのです。
これは人間にみられてしまったカッパの男の子の話ですが、別のカッパにはもっとまずかった話もあり、本ではそれもズモが詳しく話してくれます。
2章 ザシキワラシ
カッパたちは人間に見られないようにしていますが、平気ですがたをみせるものもいるといいます。それがザシキワラシ。ザシキワラシは子どものすがたの神様で、ザシキワラシがいる家はお金持ちになるといわれていま。廊下で知らない子どもと出会ったと思ったら逃げていってしまうなど、顔を合わせたという人の話もたくさんあります。
また、とある村の佐々木という家では、東京にいっているはずの主人の部屋から、がさがさと紙の音がしたのですが、女房が戸をあけてのぞいても、だれもいなかったのだそう。でも、今度は鼻をならす音がして、女房は、前から「この家にはザシキワラシがいる」といわれていたこともあり、「はあ、ザシキワラシのしわざだな。」と思ったそうです。
「おれが思うに、この家のザシキワラシは、いるぞ! ってしらせたかったんじゃないかな。そこいらが、おれたちカッパとはちがうところだよな。いるから、だいじにしろっていうことかな。ほんとに子どもっぽいよな。」
隠れてくらすズモには、ザシキワラシがずいぶん無防備に思えるのですね。
他にもふしぎな話がたくさん! 編著者は、遠野でくらした作家の柏葉幸子さん
ここでは全12章のうち、はじめの2章の一部をご紹介しましたが、他の章にもふしぎなものたちがたくさん登場します。神様もいれば、おそろしいヤマオンナやヤマオトコもいます。マヨイガという、山にあらわれるふしぎな家などもいます。
しかし、どの話にも共通しているのは、結末らしい結末がないということ。編著者の柏葉幸子さんもあとがきで、遠野物語を読んだとき、えっ、これでおしまいなの? ともの足りなく思ったと書いています。たいていのお話には、「だから、わるいことをしてはいけませんよ」というような教訓がありますが、遠野物語にはそれがありません。
本を書きながら、結末を書き足したくなってしまったという柏葉さんは、こう書いています。
「遠野のおじいさんもおばあさんも、むかしからいいつたえられてきたとおり話してきたのです。ほんとうのこととしてつたわってきたからでしょう。」「遠野物語は、むかしのすがたのまま語りついでいくものなのでしょう。」
柏葉さんは、3歳から小学校2年生まで、遠野で暮らしていました。その頃は遠野物語を知らなかったそうですが、たくさんの思い出とともに、子ども時代が遠野にあることをしあわせに思うと書いています。ふしぎなものたちがゆきかう遠野へ、足を運びたくなりますね。
夏休みの季節です。お休みを利用して、実際に行けたら一番ですが、まずは遠野物語を読んで、ふしぎな話にふれてみてくださいね。
「うそだろと思うかもしれない。うそだと思ってもいいさ。でも、一度遠野にきてみろ。青々とした田んぼのむこうに、雪が厚くつもった家の角に、林のなかの小さな沼に、ザシキワラシやヤマオンナやおれたちカッパやふしぎなものたちとあえそうな気がするはずだ。」