以前、卒園する子どもの保護者の方から、保育園に植樹をしたいという話がありました。
植えたい木は、ハナミズキの赤と白。
卒園しても毎年見にきたいという思いを持ってもらえたことがうれしくて、花壇にしている場所をハナミズキの場所にして、植えてもらうことにしました。
わたしが園長としてはたらいていたその保育園は、開園して2年。保育園がスタートする前に、園庭にたくさんの木を植えてもらっていました。そこに保護者が植樹した木が仲間入りしました。

保育園では、おとなでも知らない木の名前を、子どもたちが知っているのはすてきだなと思って、各クラスの名前を木にしました。たとえば0歳のクラスは、ジューンベリー組。最初は違和感があったけれど、子どもたちもすっかりクラス名に慣れていきました。
住宅地の真ん中にある保育園で、近くに森があるわけではない。でも、木を植えることはできます。
10年もしたら、木登りもできるかもしれないと思うと、わくわくします。
この春に、わたしは園長を引退してしまったけれど、木はいつでもそこにあって、わたしを待っていてくれる気がします。
わたしの家の近くにできた保育園にもたくさん木が植えられています。運動会ができる広々とした園庭ではないけれど、ジューンベリーの実がなり、ビワの実ががなり、今は桃が色づいてきました。そこに虫たちもやってきます。

木があるだけで楽しめる時期はそんなに長くない。幼児期に身近に木があることの大きな意味。
子どもたちの好奇心をかきたててくれるのが、実のなる木。
食べ頃なんて、子どもたちには関係ない。せっかく実ってきた桃の実を、子どもたちがうれしそうに取ってしまうので、先生たちが実に保護袋をかけたり、「とらないでね」と言葉がけをしたりしています。
先生の言葉も気にせず口に入れる子、絶対に食べない子。どちらにしても、どんな味がするのか気になってしかたがない。
秋には、りんごもみかんも実るはず。モミジバフウやコナラの実はなるのかなあ。

「これなんていう木?」と、子どもたちにきかれて答えられない木もあります。子どもたちと一緒に考えるのも楽しい。子どもたちと木の関わりは、日々見ていて飽きることはありません。森も林もないけれど、そこに木があるっていい。
わたしは子どもの頃、桜のトンネルができるようなところに住んでいました。今でも、桜がいつ頃咲いて、どんな風に散って、葉っぱの色がどんな色になって散っていくのか、花びらや葉っぱが散った後の掃除が大変だったこともふくめて、さまざまなことを覚えています。桜の木は、子どもの頃のわたしを思い出させてくれます。
そこに木があるだけで、幸せを感じられる時期はそんなに長くありません。幼児期に、そこに木があるということはとても意味があることだと思うのです。
絵本で木を楽しむ『木はいいなあ』
『木はいいなあ』という本があります。

『木はいいなあ』(ユードリイ 作/シーモント 絵/西園寺祥子 訳、偕成社)
森があるのはいいけれど、「たった 一ぽんでも、木が あるのは いいなあ」というページを読むと、うれしくなります。森を歩くのも好きだけれど、1本の木があれば、日陰もできます。
このあいだ、保育園の園庭で遊んでいた3歳の子が、「なんか音がする」と木々の葉がゆれる音に気づき、立ちどまって耳を澄ませていました。絵本では、「はっぱは なつじゅう、そよかぜの なかで ひゅる ひゅる ひゅるーっと、くちぶえを ふいているよ」と表現されています。
絵本の最後にある「作者と作品について」では、「都市化がすすむにつれ、子どもと自然との生活が失われていくのをなげき、作者のユードリイ自身が幼い日に経験した木とのすばらしい生活を、子どもたちにも味わってほしいという願いがにじみでている」と、ありました。
木がたくさんある園庭にしたいと、わたしが思ったのも、子どもの頃の体験からきていたのかもしれません。
この絵本を読んで、子どもの頃の話をしたり、近所の木の葉っぱを1枚手にとって、手触りやにおいを子どもたちと一緒に楽しむ時間を持てたらすてきだなと思います。



