ぼくは、くやしくて仕方がなかった。
  夏休みの自由研究に、昆虫の標本箱を作ったのだ。
  自慢じゃないが、ぼくは昆虫採集には自信がある。カブトムシ、クワガタ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、アゲハチョウ、モンシロチョウ、オニヤンマ、シオカラトンボ、バッタ、カマキリ、キリギリスなどなど、この夏休み、いろんなところへ行って、いろんな虫を採集した。どこで捕ったかとか、その虫の生態とか習性とか、いっぱい調べてノートに書いた。実物つきの昆虫図鑑みたいなものができ、ぼくは大満足していたのだ、ついさっきまでは。
  今日、同級生の橋本くんのうちに遊びにいったんだ。橋本くんちはお金もちで、最新のゲームなんかもたくさんもっている。人気ゲームが発売されると、まずは橋本くんちで遊ばせてもらうことになっていて、今日遊びに行った目的もそれだった。
  ひとしきりゲームで遊んだあと、自由研究の話になった。今日が夏休みの最終日。明日から新学期だ。
 「橋本くんはなににしたの?」
 「ぼく? 昆虫の標本を作った」
 「え? 橋本くんも?」
 「なんだ、江木くんもそうなのか」
  という流れで、橋本くんの標本箱を見せてもらった。ぼくのはお菓子の箱に茶色い画用紙を貼っただけだけど、橋本くんのは本格的な標本箱だ。それだけじゃない。箱には昆虫図鑑でしか見たことがないような、めずらしい昆虫がいっぱいならんでいる。名前も知らない虫も多い。
 「2週間、マレーシアに行ってたんだよね。そのとき、現地のガイドさんにおねがいして、昆虫採集を手伝ってもらったんだ。それと、デパートで買ってもらったものもある」
  マレーシアといえば、めずらしい昆虫の宝庫だ。
 「あ、そうなんだ……」
  ぼくはただうなずくことしかできなかった。こんなのを見せられたら、自分の標本箱がみすぼらしくて、みじめで……。といって、橋本くんに悪気があるわけでもないから、文句を言うわけにもいかない。
 「先生もびっくりするだろうね」
  とだけ言って、うちに帰ったんだけど……。
  あらためて自分の標本箱を見ると、なさけなかった。橋本くんの立派な標本箱を見たあとでは、ただの菓子箱にしか見えない。別の自由研究にしたいと思ったけど、明日が始業式ではとても無理だ。
 (クワガタって大きさによって、価値が全然ちがうんだよな。オオクワガタの大きいものだと、何万円もするらしい。ぼくのはノコギリクワガタだけど、オオクワガタくらい大きかったら、橋本くんの標本に負けないかも)
  ぼくは標本箱のクワガタに親指と人さし指をのせ、
 (ほれ)
  と、2本の指の間隔を広げた。ピンチアウト――スマホの画面を拡大する操作だ。ぼくは自分のスマホはもってないけれど、よく母さんのを借りているから、操作はお手のものだ。
  いやほんと、冗談でやってみただけだったんだけど、
 「ウソ」
  ぼくは思わず声をもらした。ぼくが指の間隔を広げた瞬間、クワガタが大きくなったのだ。
  信じられない思いながらも、ためしに2本の指でつまむような動作(ピンチイン)をしてみると、クワガタはもとの大きさにもどった。何度かくり返し、確認する。うん、まちがいない。

 「ひゃっほー」
  ぼくは、よろこびの声をあげた。なんだかわからないけれど、これを利用しない手はない。
  ぼくは標本箱の虫たちを次から次へと大きくした。大きな菓子箱を用意し、さらに作業をつづける。30分もかからず、巨大昆虫の標本箱が完成した。
  いずれ劣らぬ10センチ級の昆虫軍団。これなら橋本くんの標本箱にも負けない。しばらくぼくはにんまりとしていたが、ふと、これはもっといろんなことに使えるのではないかと気がついた。
 「母さん、今日のおやつはなに?」
 「シュークリームよ。冷蔵庫にはいっているわ」
 「わーい」
  ぼくはキッチンに行き、冷蔵庫からシュークリームを取りだした。もちろんピンチアウト! 巨大になったシュークリームをたいらげ、大満足だ。
 「ふう。おなかいっぱいだ」
  ティシューで口をふき、キッチンを出ようとしたとき、母さんとばったり。
  ぼくを見て、母さんはぎょっとした顔になった。
 「あんた、だれ? どうしてここにいるの」
 「なに言ってるの、母さん。ぼくだよ」
 「あんたなんか知らないわよ。出ていかないと警察よぶわよ」
  真剣な表情で言う。冗談かと思ったけれど、どうやらそうではなさそうだ。
 「母さん、まってよ」
  必死に言ってもむだだった。
 「だれか来て~。へんな子がうちに上がりこんでいるの」
 「うわああ」
  ぼくは、こわくなってかけだし、家を飛びだした。
  商店街まで走ったところで立ちどまり、とぼとぼと歩く。なにが起こったのか、さっぱりわからなかった。
 (母さん、いったいどうしちゃったんだろ)
  と、なにげなくショーウインドウにうつる自分の顔を見て、
 「わ、だれだ」
  ぼくはおどろいた。そこに見えたのは、まったく知らない顔だったからだ。信じられずに目をこすり、再度ショーウインドウを見ると、
 「うわっ」
  また別の顔に変わっていた。やはり見たこともない顔だ。
 (こ、これは……)
  そのとき、はたと気づいた。––––これはスワイプだ。ピンチインやアウトと同じくスマホの操作方法で、指でなぞると別の画面になる。おそらくシュークリームを食べ、口をふいたときに、そしていま、目をこすったときに……。
  なんとか、もとの自分の顔にもどろうと顔をスワイプしまくっていると、背後から「ばけものよ」という声が聞こえてきた……。
高井 信
 1957年名古屋市生まれ。1979年、SF専門誌「奇想天外」にショートショート2編が掲載され、作家デビュー。ショートショート関連の書誌等の発表や書籍の収集もおこなっている。作品に『うるさい宇宙船』『夢中の人生』『ショートショートの世界』などがある。
イラスト:アカツキウォーカー
						
                
              
                              
                              
                              
                              
                              
                              
                              
                              
                              
                              
                              
                
        