寒くなってくると子どもたちは、保育園への登園時にジャンパーやコートを着てきたり、マフラーをまいてきたり、毛糸のぼうしをかぶってきたり、てぶくろをはめてきたりします。わたしの住んでいる地域では、めったに雪は降りませんが、それでも冬になれば防寒着が必要です。
子どもたちにとっても、あたたかい服装は、欠かせないけれど、これがなかなか大変。前のファスナーがうまくあげられないし、ぬいだり着たりがひと仕事。マフラーやてぶくろは、園庭で遊ぶときにあぶないので園には持ってこないようにお願いすることもありました。
年に1、2回は雪が積もる日もあります。そんな日、わたしは朝からわくわくして、長ぐつやてぶくろを用意し、子どもたちとどんなことをして遊ぼうかと早めに登園していました。

子どもたちがすべるといけないからと、早番の先生が竹ぼうきで門から玄関まで雪をきれいに掃いているのを見てがっかりしたことも、今となってはなつかしい思い出です。
子どもたちの小さい手とてぶくろの思い出
わくわくしながらてぶくろを準備するわたしのように、子どもたちも自分のてぶくろがあることがうれしくて、「てぶくろもってきた!」と雪の中を走って登園してきます。
さっそくわたしが先頭になってゆきだるま作り。でも、何十センチも雪が積もっているわけではないので、土がたくさんついたゆきだるまができあがります。そんなまだらな色のゆきだるまでも、子どもたちはうれしそう。わたしのまねをする子があらわれて、ゆきだるまを作ります。
でも、手にはめたてぶくろはすぐにぬれてしまい、てぶくろをとってみると、小さな手は真っ赤に。小さい手を両手で包み、「はーっ」と息をかけてあげました。そんなわたしを見て、鼻の頭を真っ赤にして、うれしそうに笑っていた子の顔を思い出します。

どきどきしながら、子どもたちが一生懸命耳をかたむける絵本『手ぶくろを買いに』
子どもたちとそんなやりとりをしたとき、新美南吉の『手ぶくろを買いに』の絵本の一場面が浮かんできます。

『手ぶくろを買いに』(新美南吉 作、黒井健 絵、偕成社)
はじめて雪の中で遊んで帰ってきたこぎつねが「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする。」と言います。母さんぎつねは、ぬれて牡丹色になった小さな手に、はーっと息をふきかけて、夜になったら坊やの手にしもやけができないよう、町まで行って、てぶくろを買ってやろうと思います。
この絵本の母さんぎつねと坊やのあたたかい会話がとてもいい。冬になると毎年読んでいる気がします。
絵本の中で「ねむれ ねむれ 母の胸に」とこもりうたを人間が歌っている場面があります。3年生の孫に、ふとんの中でこの絵本を読んであげたら、「きょうはあのこもりうた歌って」とせがまれました。そういえば、いつからこもりうたで寝かせなくなったのかなあと思いながら歌うと、幸せそうにあっという間にねむりにつきました。
『手ぶくろを買いに』は、あたたかいへやで静かに読みたい絵本です。ちょっとどきどきしながら、一生懸命おはなしを聞く子どもたちの姿は、何度見てもいいものです。
子どもはこぎつねに自分を重ね、親は母さんぎつねの気持ちに心を寄せます。寒い夜に、お母さんやお父さん、おうちの人が静かにふとんの中で読んであげるのにぴったりの絵本かもしれません。黒井健さんが描く雪の世界が、静かな空気をはこんでくる作品です。

てぶくろがテーマになった絵本には、『てぶくろがいっぱい』もある!
わたしが園長の立場ではなく現場で保育をしていたころは、部屋で石油ストーブを焚いていたので、雪が降った日はストーブのかこいにてぶくろを干して乾かしていました。乾いたらてぶくろで人形を作って遊ぶのが定番。子どもたちにとって、寒い日のてぶくろはとても魅力的なアイテムなのだと思います。
絵本『てぶくろがいっぱい』で、てぶくろがずらりとならんだ表紙を見た子どもたちは「あかいてぶくろ!」「なんでいっぱいなんだ?」と首をかしげていました。

『てぶくろがいっぱい』(フローレンス・スロボドキン 文、ルイス・スロボドキン 絵、三原泉 訳、偕成社)
絵本の主人公、ネッドとドニーはふたごです。ある日、ドニーがてぶくろを片方なくしてしまいます。そのことを知った近所の人たちがつぎつぎに落ちていたてぶくろを届けてくれて、ふたごの家にはてぶくろがいっぱいになります。小さい町が舞台になったこの物語は、何度読んでもほのぼのします。
『てぶくろがいっぱい』を読むと、自分がなくしたてぶくろが、あの木にぶらさがっているような気がしてきます。「てぶくろを落としちゃったら、ここに行けばいいね」とわたしが言うと、「とおいからいけないじゃん!」と、子どもたちが言いました。ネッドとドニーが暮らす、ミシガンという町が遠いってわかるのかな?と一緒に笑いました。



