海でのんびり暮らしていたナマコのばあちゃん。ところがある日、海の底がもんどりうって、でんぐりかえった! めちゃくちゃになった海の中で、ナマコのばあちゃんがしたことは……? ナマコが大好きで、独自のナマコ研究をつづけてきた絵本作家・こしだミカさんの最新作『ナマコのばあちゃん』。なぜこしださんはナマコに魅了されるのか、その原点はある日の磯遊びにありました。
ご自身も「ナマコのばあちゃんになりたい」と、新聞のインタビューで以前、おっしゃっていましたね。ナマコのどんなところに憧れますか?
ナマコには目もなく耳もなく、脳もなく、速く泳ぐこともできません。ちくわのようなシンプルな構造です。身のまわりにある砂を食べ、砂についた栄養分だけを体にとりいれ、きれいになった砂を出して生きています。どんくさいだけの生き物にも見えますが、再生能力が高く、体を半分に切られたら2匹になることもある。余計なものを持たず、シンプルに生きる管そのもののような感じがするのです。
私はやることが遅く、どんくさいところがナマコに似てるなぁと最初思ったのですが、まだ自分は要らんことを考えたり悩んだりしているなぁと。もっと、ナマコのようにシンプルに、自分の管を通すように「なにかを見たら作る、感じたら作る、というふうになりたいなぁ!」と思い、ナマコみたいなばあちゃんになりたいと(笑)。
2019年刊行の科学絵本『ナマコ天国』(本川達雄 作/偕成社)で絵を手がけられましたが、それ以前から、ご自身でナマコのことを調べられていたとお聞きしました。ナマコに興味を持ちはじめたきっかけはなんですか?
15,6年前、ある磯辺で1匹のナマコに出会ったのがきっかけです。私は磯遊びが好きで、その日も磯でカニとナマコを捕まえてビニール袋に入れていました。帰る時間になって、リリースしようと袋の中を見ると、ナマコがU字型になってカニのまわりをとりかこんでいたのです。ナマコの胴体の裏側にある、小さな吸盤のついた沢山の小さな足のようなものが、カニのハサミや胴にくっついて、カニが身動きできなくなっていて。「ナマコがカニを捕まえて食べようとしてる!」と早合点した私は、急いで、ナマコの小さな足を注意深くカニから剥がして、「ナマコのアホー!」といって、ナマコを海の水面に放り投げました。
そして、カニに「えらいめにあったなぁ。海へお帰り」といって、近くのコンクリートの突堤の上に、そっと置きました。するとカニは横走りに突堤の端っこまで走っていって、そこから海に落ちました。ところが突堤の横面には、海から上がってくるための鉄製のハシゴがついていて、カニはその鉄のハシゴにガーンと当たって、海にボチャンと落ちたのです。「カニ、ごめん!」と思いましたが、あとの祭り。一方で、それまで「なんにもできないぼんやりした生き物」と思っていたナマコの仕業を目の当たりにして、「ナマコって、いったい何者?」と大きなハテナが残りました。
その後、本川達雄先生の書かれた『ナマコガイドブック』(本川達雄、今岡 亨 共著/楚山いさむ 写真/CCCメディアハウス 2003)に巡りあい、ナマコのすごさを知って、ぐんんぐんナマコにのめり込んでいったのです(笑)。
本を読んで、ナマコがカニをとりかこんでいたのは、食べようとしていたのではなく、カニと一緒の袋に入れられたナマコが体をかたくしてU字型になってたんだなとわかりました。アホなのは私でした。あの時のカニ、ごめん。ナマコ、ごめん。
『ナマコのばあちゃん』は、とにかくダイナミックでスケールの大きな展開に圧倒されました。どのような経緯で、この絵本を構想されたのでしょうか?
その後、縁あって『ナマコガイドブック』を書かれた本川達雄先生と出会い、『ナマコ天国』の絵を描かせてもらうことになったのですが、その制作中に、3.11(東日本大震災)が起きたのです。
私は、何かを描いている最中は、自分自身がその描いている相手になったつもりで描くことが多く、たとえば、モグラを描いている時はモグラになったつもりでいます(笑)。『ナマコ天国』を描いている間は、ナマコになって、海の中から人間世界を眺めているような気持ちでいました。
その最中に3.11が起き、天災と人災による甚大な被害があった日から3年も経たないうちに、福島第一原発について「アンダーコントロール」という発言がありました。その言葉を聞いた時、自分の心のどこかにガチンとスイッチが入ったような気がしたのです。
人間が海をコントロールすることなんかできるんやろか。3.11の後の人間世界を海から見たら、どう見えてるんやろ。そこにナマコのばあちゃんがいたら、どうなってたんやろ、と。
絵本の絵の制作を進めながら、原発事故の影響で自主避難された方たちの話を聞いたり、本を読んだりされたと聞きました。そこで、どのような思いを抱かれましたか?
北海道の根室で出会ったご夫婦は、気仙沼で造船所をしておられた時に、3.11で作りかけの船も工場も流され、根室で造船を再開された方たちでした。
また、茨城から自主避難し、関西で活動されてる絵本作家・画家、間中ムーチョさんという作家の作品が胸に響いて、作品展に足を運んでいます。時折、ギャラリーで立ち話することがあります。
大阪の隆祥館書店に置かれていた森松明希子さん著『災害からの命の守り方 ––––私が避難できたわけ––––』(文芸社 2021)を読み、NHKで放送された『福島モノローグ』というドキュメンタリーをくりかえし見ました。
それぞれの方に直接3.11の詳しいお話を聞いたわけではありません。3.11の後も続いていく時間の中で起きていることのほんの一部を、彼ら彼女らの姿や言葉から垣間見ただけです。ただ、3.11で被害にあった当事者ではない私が原発のことを描いていいのかという自問自答に対して、1つの道しるべを与えてもらったように感じています。
あの日を境に、あまりに多くのことを失い、今もそれが続いている中で暮らしておられる人たちと一緒に、この島国で生きている。私もその「当事者」の一人なんだと思い直しました。
今回も、こしださんのダイナミックで迫力のある絵が存分に生かされた絵本ですね。描き方や画材の選択など、どのようなところに力点を置いて描かれましたか?
「アンダーコントロール」の発言があってしばらくしてから、『ナマコのばあちゃん』のお話がバーッと浮かんできて、鉛筆とクレヨンとボールペンで、ざくざくゴシゴシと本当に荒い描き方で一冊分の絵を一週間くらいで描き上げました。絵が、身からあふれ出てしまったという感じでした。
本の企画が通って、本描きを描き直そうとした時に、何度描いても、元のラフな絵を越えられないページがいくつかあって、最初の絵をそのまま使っているところもあります。とてつもないことが起きてしまったお話ですから、整った絵を描くことが大事なのではなく、荒い線と色でも、読んでくださった方に「なにか起きている」ということが伝わることの方が大事と思いました。
どのような子ども時代を過ごされましたか。小さな頃から生き物が好きだったのでしょうか?
小さい頃から生き物が好きでした。アリをじっと観察したり、捨て犬を拾ってきたり、外に置いてある犬小屋の中に入っていって、犬に迷惑がられたりしていました。家の中で図画工作したり、ひとりで本を読むのも好きでした。
今後、描いてみたい動物やものはありますか?
水の中の生き物、土の中にいる生き物、陸の上にいる生き物、鳥ももっと描きたいです。植物も機械も人間も。どんくさいのに気持ちは欲張りですね(笑)。
ありがとうございました!
こしだミカ
1962年、大阪府生まれ。絵本作家、立体造形作家。自作の絵本に『アリのさんぽ』、『ねぬ』、『ほなまた』、『くものもいち』、『いたちのてがみ』、『でんきのビリビリ』、『ドンのくち』、『ひげじまん』、絵を担当した絵本に『カイロ団長』(宮沢賢治・作)、『ナマコ天国』(本川達雄・作)、『ねむろんろん』(村中李衣・文)、『うちのおかあちゃん』(小手鞠るい・作)がある。