『ちいさいモモちゃん』などの作者・松谷みよ子さんのもとに、あるとき若い読者から、一通の手紙が届きました。「わたしのいもうとの、話を聞いてください……」。いじめにあい学校へ通えなくなった妹のことを語ったその手紙に、心をゆりうごかされた松谷さんは、平和を願い、1冊の絵本を書きました。
わたしのいもうとの話
『わたしのいもうと』(松谷みよ子 作/味戸ケイコ 絵)は、このようにして、はじまります。
この子は
わたしの いもうと
むこうを むいたまま
ふりむいて くれないのです
いもうとのはなし
きいてください
学校へ行かなくなった妹は、かたく心をとざしてしまいます。
ごはんも たべず
口も きかず
いもうとは だまって どこかをみつめ
おいしゃさんの手も ふりはらうのです(中略)
かあさんが ひっしで
かたくむすんだ くちびるに
スープを ながしこみ
だきしめて だきしめて
いっしょに ねむり
こうして、なんとか命をとりとめた妹でしたが、中学生になっても、高校生になっても、部屋にとじこもったまま。窓から同級生たちの楽しそうに登校する声がきこえる部屋で、なにかをするでもなく、だまってどこかを見つめる毎日が、ゆっくりと流れていきました。
そして、そんな日が続いていくかと思われたある日、物語は妹がひっそりと命をおとす場面で終わります。
「差別こそが戦争への道を切り拓くのではないでしょうか…」
松谷さんが筆をとるきっかけをつくった手紙を書いたのは、松谷さんの著書『私のアンネ=フランク』を読んだ若い娘さんでした。アウシュビッツにまつわるこの物語を読んだ彼女の手紙には、妹の話とともに「差別こそが戦争への道を切り拓くのではないでしょうか」と書いてあったそうです。
松谷さんはあとがきで、この言葉にふれて、このように書いています。
そうですとも、そうなのよとわたしは、手を握りたい心持ちであった。おなじ日本人のなかでの差別は、他民族への差別とかさなり、人間の尊厳をふみにじっていく。アウシュビッツも、太平洋戦争でわたしたちが犯した残ぎゃく行為も、ここにつながる。そしておそろしいのは、おおかたの人が自分でも知らないうちに、加害者になっている、またはなり得ることではなかろうか。
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この絵本は、「静かに、子どもたちに平和の重さ、いのちの尊さを語りつぐ」絵本シリーズ「新編・絵本平和のために」というシリーズのなかの1冊です。ぜひほかの書籍もお手に取ってみてください。