保育園の園庭で遊んでいると、2歳の女の子がうれしそうにテントウムシを手にはわせながら見せにきました。ほかの子どもたちも集まってきて、テントウムシが動くようすをじっと見つめていました。子どもたちが、ダンゴムシやテントウムシに心をうばわれる季節になりました。

そういえば、おたまじゃくしを保育園に持ってくる子がいなくなったように思います。わたしが子どものころは、家の近くにある池のまわりにかこいがなく、おたまじゃくしのたまごを見ることがよくありました。もう少し、寒いころから見られた記憶があります。
児童センターに勤めていたときに、おたまじゃくしを「ここで飼って!」と持ってきた子がいました。「お母さんが『うちでは飼っちゃダメ!』って言うから持ってきた」と話してくれて、「どこでとってきたの?」と、わたしがうっかりきくと、うれしそうな顔で「近くだからついてこい!」と言います。
近くの団地に住んでいるというので、一緒に走ってついていくと、入ったら絶対にあぶないところじゃない?と思うような水路へ……。するするっと入っていって、「ここだよ!」と言ったときの、その子のうれしそうな顔といったら! わたしを仲間だと思ってくれているのはすてきだけど、おとなのわたしは、喜んでばかりはいられないんだよなあと複雑なきもちを抱いたことがあります。

あたたかくなる頃に、保育園で何度も何度も読んできた絵本『おたまじゃくしの101ちゃん』。
おたまじゃくしといえば『おたまじゃくしの101ちゃん』。「きしべの たんぽぽが、しろい わたげに つつまれるころに なりました。」という、冒頭の言葉は、ページを開かなくても浮かんできます。それほど、何度も何度も子どもたちに読んできた絵本です。

『おたまじゃくしの101ちゃん』(かこさとし 作・絵、偕成社)
お話の舞台になる「いちべえぬま」で、壮大な事件がおこります。まいごになった101ちゃん(101ぴきの子どもがいる中で、まいごになったのは101番目の子でした!)を、お母さんがさがしに行きますが、たがめとざりがにの戦いに巻きこまれてしまったのです。

おたまじゃくしの子どもたちは、みんなでお母さんを助けようと行動をおこします。この場面で、わたしはいつも、子どもたちってすごいなあと思います。でも、助けだしたお母さんは、目を閉じたまま動きません。おたまじゃくしの子どもたちが「えーん」と泣き出すと、絵本を見ている子どもたちはしーんとなります。
「おかあさんが しんじゃった。おかあさんは もう いない。」この文章を読むときは、お母さんが気を失っているだけだと知っているわたしも、じーんとしてしまいます。先日、親子が集まっているところでこの絵本を読んだら、本当に涙を流しているお母さんがいました。
「おかあさん」という存在は、子どもにとって、とても大きいようです。
生きもののことを知ることもできる作品。
「だっこも、おんぶも、してもらえないと おもうと、みんな とっても かなしくなって……。」というところを読んだとき、「かえるは、だっこやおんぶはできないよね」とつぶやく年長の男の子がいました。それをきいて、「いいの!」と、ストーリーを楽しみなさいと言わんばかりの女の子に笑ってしまったこともありました。

絵本を読む子どもたちの中には、おたまじゃくしがかえるの子だと知らなかった子もいましたが、絵本を読めば、わかります。そして、たがめのセリフで「いちべえぬまは せんぞ だいだい わしの なわばり。」と書いて、生きものの世界についてさりげなく伝えてくれるところも、かこさとしさんならではだなあと思います。


