ある程度自分のことができるようになった2歳のころの子どもたち。言葉がはっきりしてくると、要求はますます増えて、とどまることを知らないときもでてきます。
「みて!」と言われて子どものほうを見るのだけれど、これと言って特別なことはなく、自分の方を見てほしいだけということもあります。
子どもが「みて!」「やって!」と言ってくるタイミングが、ちょうど下の子にミルクを飲ませているときだったり、運転中だったり、鍋が火にかかっているときだったり。
「見てわからないの?」「いま、できないでしょ!」と思うようなタイミングでは、子どもにゆったりとした言葉を返せないものです。
子どもと生活するということは、おとながつい思ってしまう「めんどくさい」という気持ちと、どう付き合っていくかっていうことなのかもしれません。
保育園では、できるだけ本人が決められるように声をかけています。
保育園ではどうなっているかというと、要求が増えてくる1歳や2歳児の保育士の配置基準は、なかなか厳しいものがあります(「保育士の配置基準」は、保育士1人が対応可能とする子どもの数の基準のこと。子どもの安全を確保するために定められている)。
「0歳児には個別の対応が必要」ということで、0歳は子ども3人に対して保育者1人なのですが、もっと行動範囲が広がるというのに、1・2歳児は、子ども6人に対して保育者1人という基準なのです。
そのなかで、ひとりひとりに寄りそう関わりをしようと、日々考えながら保育をしています。
保護者の方に日頃のようすを伝えるために、連絡ノートを書くのですが、それを書く時間を捻出するには、保育士の人数が慢性的に足りないという現状もあります。
それでも保育が成り立つのは、子どもたちが自分のいる場所のことを「ちゃんとわかっているから」かもしれません。入園当初は泣いていた子でも、しばらくすると自分から遊びだすことができるようになります。保育園は、子どもたちに支えられているなあと感じることが多々あります。
保育者は、できるかぎりその子を認める言葉をかけたり、本人の意思を尊重する言葉を使ったりすることを心がけています。
「トイレいかない?」「外に遊びに行くけど、一緒に行く?」というように、できるだけ本人が自分で決められるようにたずね、「それが終わったら、片づけようね」「手を洗ったら、ごはんを食べようね」というように、見通しが持てるような言葉を個別にかけるようにしています。
そして、「できたね」「すごいね」という、子どもの行動を認める言葉が、保育園では常に飛びかっています。なにができているのか、なにがすごいのかを、その子ひとりに向かって具体的に伝えるよう気をつけたいと考えています。
子どもが「どうしても」というときは付き合ってみるのもひとつの方法。
おうちでは「いま、手が離せないんだ。待ってくれる?」と言ったとしても、「やだ!」と返ってくることも多い。子どもがどうしてもというときは「わかったよ」と、下の子にミルクを飲ませるのをやめて、上の子の「みて!」を優先したり、「じゃあ、ごはんは作るのちょっとあとにするね」と付き合ってみたりするのもひとつの方法かもしれません。
考えてみたら、ハイハイをしはじめた頃や、つかまり立ちをする頃は、目が離せないのでちゃんとそばにいて優しく声をかけることもできていたと思うのですが、ちょっと動けるようになったり、言葉がしっかりしてくると、「もうわかっているのに、なんで?」となってしまいますね。
お兄ちゃんやお姉ちゃんになったら、しっかりしてほしかったり、優しいお兄ちゃん、お姉ちゃんを期待して、つい要求が高くなってしまったり。でも、2・3歳はまだまだ甘えたい時期なのです。
親が気持ちの切り替えをしたり、SOSをだしたりすることも大事。
先日、わたしがカフェでのんびりしていたら、となりの席の女性2人が、子どもの話をしていました。「子どもといっしょにいて、『もうだめ、ちょっとこの子の顔を見るのもつらい!』と思ったら、鬼滅とドラえもん。子どもが30分でも集中してテレビを見ていてくれたら気持ちの切り替えができるから」と話しているのがきこえてきました。
こんなふうに、切り替え方法を自分で見つけたり、他の人や相談できるところにSOSをだしたりすることも、子育てでは大事だと思います。何度も言っている気がしますが、子育てはそうかんたんにうまくいかないものです。めんどうくさくて投げ出したくなるのがあたりまえという気がします。
「みて」「読んで」「やって」という時期は、実は短い!そんな子どもたちを描いた絵本いろいろ。
子どもを思いっきり甘えさせたとしても、わがままになることはないと思っています。子どもが「みて!」というときは見る、「やって!」というときは、やってあげたらいいんじゃないかな……。小学生になっても「くつをはかせて!」という子はいません。遊んでいることや、やっていることを「みて!」という時期は、実は短いのです。そうやって、大切な人の存在を確かめることや、そばにいて自分を信じていてくれる人がいるという安心感が、子どもを次のステップに導く近道なのかもしれないですね。
そして、絵本を読む時間は、大切な人の声をききながら、そばにいてくれることを実感できるとてもいい時間なのだと思います。
子どもたちの気持ちや思いを描いている絵本ってたくさんあります。読んでみると、子どもたちなりの思いがあることに気づくかもしれません。
『まま みてて』(まどかななみ・作、宮西達也・絵、ポプラ社)
子どもたちが見てほしいことって、すごいことじゃなくて、なにげないことなのだとこの本が教えてくれます。ひとりでできる喜びを「ほんとだね」と言ってくれる人がいる、それだけで子どもたちは幸せ。なかには「みてて」と言わない子もいるけれど、見てほしいという気持ちはどの子ももっていると思います。「だからね あしたも ぼくのこと まま みてて!」という言葉がじーんときます。
『おでかけのまえに』(筒井頼子・作、林明子・絵、福音館書店)
ピクニックへ行く朝。あやこは、お母さんが作ったおにぎりやおかずをお弁当箱につめ、バッグの中身をぜんぶ取りだし、着替えた服をどろんこに! いいことをしようとした結果だけど、実際にこんなことがおこったら、まわりのおとなは黙っていられない。でも、お父さんやお母さんが子どもとでかけようと思うのは、きっと最後のページのあやこのようなとびっきりの笑顔が見たいからのはずです!
『やんちゃっ子の絵本⑥ だれがいなくなったの?』(スティーナ・ヴィルセン・作、ヘレンハルメ美穂・訳、クレヨンハウス)
こぐまさんとママぐまさんがおかいもの。勝手にコンフレークをもってきたこぐまさんに「かいませんよ」と怒るママぐまさんの顔はこわい。そして、こぐまさんはまいごに。「かってに いなくなっちゃ だめじゃないの!」というママぐまさんに「ママが かってに いなくなったんだよ!」というこぐまさんの言葉は名言だと笑ってしまった。親切なとりさんのような存在が描かれているのもいいなあと思います。
『だって…』(石津ちひろ・作、下谷二助・絵、国土社)
子どもたちが得意な言葉「だって」のあとに広がる世界がユニークに描かれた絵本。やりたくない、できないと思うことの裏には、ひとりひとりの子どもたちの思いがあると思います。「どうして まいにち おもらしばかりするの」「だって…」とページをめくると迷路の先にトイレが描かれている。最後は「どうして だっこしてくれないの」「だって…」のあとに、太ったおすもうさんの絵が! そう! もうおすもうさんみたいに重く感じるんだよ! とその部分には親も共感。
『みて!』(高畠那生・作、絵本館)
どこまでも海しか見えない船の上。そこで浮かぶ子どもの想像の世界に引きこまれていく気がして好きな絵本です。「みて!」と女の子がお父さんに声をかけて飛びこみ台から飛びおりる。うきわ、シャツ、ぼうしがぬげていくけれど、海のなかにいた、たこの頭でジャンプすると、ぜんぶ元通りに! 今度はたこも「じゃあ、みてて」と言うのだけれど、思ったようにいかず失敗。うまくいかないことの方が本当は多いのですよね。
子どもの「みて!」「やって!」で大変なとき、こんな絵本を子どもと一緒に読むと、親子で会話したり、歌ったりして楽しくなるかもしれません。
『くまさんくまさんなにみてるの?』(エリック・カール・絵、ビル・マーチン・文、偕成社編集部・訳、偕成社)
「くまさん くまさん、ちゃいろい くまさん、なに みてるの?」と問いかける。「あかい とりを みているの」とページをめくると画面いっぱいの赤い鳥。そうして、動物たちから順を追っていくと、最後はお母さんが登場。「おかあさん おかあさん、おかあさんは、なに みているの?」と問いかけると、お母さんは「だいすきな こどもたちを みてるのよ」と答える。リズムのいいくりかえしと、動物たちのカラフルな絵が、エリック・カールらしくてすてきな1冊です。
『ぴったんこ』(浦中こういち・作 絵、鈴木出版)
「ぴったんこ ぴったんこ ぴったんこ おててとおててで ぴったんこ」と子どもといっしょにいろんなところをさわっていく。最後は子どもをぎゅーっとだっこ。どんな気分のときにも、この本を読んでいたら、子どもたちは「ずーっとお母さんはそばにいてくれるんだ」と思えるはず。楽譜もついているので、歌いながらページをめくって、「ぴったんこ」しながら幸せな気分で1日を終えられたらいいですね。
『いたいいたいはとんでいけ』(松谷みよ子・文、佐野洋子・絵、偕成社)
わらべうたは、心が落ち着くふしぎな旋律。「いたいのいたいのとんでいけ~」と言うと、本当に子どもたちは空を見上げて泣きやんだりします。この本にでてくる「むっちゃん」を子どもの名前に変えて「ゆうちゃん ゆがつく ゆうざえもん」と歌うと、それだけで子どもたちはうれしくなる。「ちがう!」と怒ってしまう子もいたけれど、そんなときは「いやなんだ、じゃあ、むっちゃんにするね」と言いながら歌い直す。最後に「いまないた からすが もうわらった」と読みながら、本当に子どもってそうだよなあと思う。
『かいじゅうごっこ』(ルーシー・カズンズ・作、木坂 涼・訳、偕成社)
作者の孫が小さいときに、家族でかいじゅうこっごをしたことを思い出して描いた絵本と書いてある。おねえちゃんや、おじちゃんやねこやおばあちゃんが、かいじゅうになってガブリエルを追いかけてくる。最後はママ。ママが「おいしそうだなー。あしの さきから たべようか。はなの さきから たべようか」と言うのがいい。そして、かいじゅうになったガブリエルに「いーっばい キスを するしかない!」と言ってぎゅっと抱きしめる。わたしも孫に読んでキスしようと思ったら、「わー、にげろー」と本当に逃げられてしまいました。かいじゅうになったわけではないのに!!
安井素子(保育士)
愛知県に生まれる。1980年より公立保育園の保育士として勤める。保育士歴は、40年以上。1997年から4年間、月刊誌「クーヨン」(クレヨンハウス)に、子どもたちとの日々をつづる。保育園長・児童センター館長を経て、現在は中部大学で非常勤講師として保育と絵本についての授業を担当。保育者向け講演会の講師や保育アドバイザーとしても活動している。書籍に『子どもが教えてくれました ほんとうの本のおもしろさ』(偕成社)、『0.1.2歳児 毎日できるふだんあそび100ーあそびに夢中になる子どもと出会おう』(共著、学研プラス)がある。月刊誌「あそびと環境0・1・2歳」(学研)、ウェブサイト「保育士さんの絵本ノート」(パルシステム)、季刊誌「音のゆうびん」(カワイ音楽教室)で連載中。