自分と似たような人を物語に見つけることが、その後の人生に影響を与えることがある。本書は自分の性のあり方に悩む中学生の男の子リックが主人公の物語だ。
リックは親友のジェフのように女の子に興味を持つことはないし、父さんに「好きな女の子はいないのか」などと話題を振られることが苦手だ。母さんはとっさに「好きな男の子でもいい」とフォローしたりするけれど(いかにも昨今の理解ある親らしい)ゲイというわけでもない。
SF作品が好きだが、ジェフにはオタクの趣味だと言われてばかにされている。ばかにされても、リックは言い返せない。ジェフが女の子やゲイをばかにしたり、弱いものいじめをしたりするのをやめろということもできない。「けんかになるようなことを、おまえがしないようにしているみたいだな」と祖父には言われる。友達に嫌われたくないので本当のことを言えないのは、よくあるティーン・エイジャーの悩みだが、男らしさのピア・プレッシャーやセクシュアリティの悩みも入ってくるので、リックにとっては大問題である。
そんなリックが、自分らしくいられる友達と出会っていく様子を描いていくのがこの作品だ。中学校にはレインボーズというLGBTQ+の人たちが集まるグループがあって、リックは自分が何者かわからないので参加してみたいと思う。
部屋に入るかどうか、さんざん迷いながらも一歩を踏み出すと、そこには様々なセクシュアリティやジェンダーを持つ生徒が参加していて、そこで初めてAセクシュアルやAロマンティックという言葉に出会う。誰にも恋愛感情や性的関心を持たない人もいて、そのような人をあらわす言葉があるのだ。自分もそうかもしれないとリックは思う。中学生なので、この先に人を好きになることがあるかもしれないけれど、中学生だから自分のことを何も知らないと大人に決めつけられるのもちがう。
レインボーズでは教師も生徒もお互いが学び合っている最中で、間違ったら教師も謝る。そのような教師の姿はリックにとっては見たことがないもので、レインボーズに参加していることを友人にばかにされるのではないかと思いつつも、他者との安全な関わりについて学んだリックはNOが言える子へと成長していく。
この書評を書いている私は、本書に出てくるレインボーズによく似た名前の「にじーず」というLGBTの子ども・若者が集まる居場所を運営している。初めて参加した子の緊張、参加していくうちに最初は「仕方ない」と流していたことが「いやだと言っていいんだ」と思えるようになること、ゲームやおしゃべり、お絵描きといった他愛のないことでさえ自分を否定されない環境では解放されて楽しめることなど、そうそうと思いながらページをめくっていた。
レインボーズの顧問の先生は「先生が子どもの頃は、こういう集まりはまだ、あちこちの大学で活動が始まったばかりで、中学校にはほとんどありませんでした」と語る。私も同じ気持ちでにじーずをやっている。居場所に参加できる子どもたちは安心できる繋がりを知って、自分らしくいられる友達を見つけて、何がうれしくて悲しいのかを表現できるようになる。
しかし、そのようなコミュニティがどこにでもあるわけではない。にじーずも学校の中にあるわけではない。本書のように、もし自分の学校の中にLGBTQ+のコミュニティがあればどれだけいいだろう、同じような友達と学校で知り合うことができれば、と思っている中学生が、日本中にいるだろう。そんな若い読者にとって、物語の中であったとしても安全な居場所を見つけられることは、心の支えになることは間違いない。
児童書がLGBTQ+に関するトピックを取り上げることは近年少しずつ増えてきている。 現実社会に安心できる繋がりがない小さな読者ほど、このような物語を必要としている。ぜひ広く読まれてほしい。
遠藤まめた(えんどう・まめた)
一般社団法人にじーず代表。トランスジェンダー当事者としての自らの体験をきっかけにLGBTの子ども・若者支援に関わる。近著に「教師だから知っておきたいLGBT入門」(ほんの森出版)ほか。