うれしいときのハグ、かなしいときのハグ、だいすきのハグ、ありがとうのハグ、日常の中にはさまざまなハグがあります。言葉をかわさなくても、ふれるだけで気持ちが通じたり、いろんな思いがわきあがってきたり。ハグには不思議な力があるのかもしれません。新刊『ハグのうた』について、おーなり由子さんにお聞きしました。

ハグをテーマにした絵本を創ろうと思ったのには、なにかきっかけがあったのでしょうか。
もともと自分の中に、人が「ふれあう」ことについて、興味ある種がいっぱいあったんだと思います。
自分以外の誰かと、からだがふれあうとき、ふわっと「心」がうごく。これはなんだろう?って。どきどきしたり、安心したり、不思議でおもしろいですよね。
そういう、ふだん感じていることが、書きはじめると色々出てきて、つながっていった感じです。

ハグは、子どものいる生活では身近なことですよね。
とくに、赤ちゃんを育てているときに、すごく思いました。言葉が通じない赤ちゃんとは、さわったり、抱っこしたりすることが会話なんです。
そういえば、ぐずっているときに、「おひなまき」っていう、やわらかいタオルや布で、ぎゅーっときつく体を巻いて、赤ちゃんを安心させる方法があるんですけど、ほんとにスッと泣き止むんです。びっくりしたんですけど、せまい子宮の中にいるようで安心するみたいです。
そうか、だっこって子宮だったんだ! だから、人間はぎゅうっと抱きしめられると安心するのか、って、そのことは書きたい、と思いました。
そういう、日々のいろいろな体験や気持ちが、この絵本のもとになっていたんですね。 絵のイメージはすぐに浮かんできましたか?
じつは、この絵本、はじめは、わたしは文だけで、夫(絵本作家のはたこうしろうさん)に絵を描いてもらおうと思っていたんです。
もともと、夫がイベントのときに、ピアノの演奏と一緒にハグをテーマにした絵を描く、というのをやってて。それにわたしが文をつけた、ライブ絵本のようなものがありました。冒頭だけだったので、それをふくらまして文とコンテを書くつもりだったんです。
だけど、書いてる途中から、おなかの中とか赤ちゃんのイメージが広がったので、わたしが絵も描くことにしました。その分、夫は本文のデザインや装丁をたくさん手伝ってくれたので、ほんとうにありがたかったです(笑)。

絵本の中では、セピア色の線で描かれた人たちがハグをすると、そこにふわっとあたたかい色があらわれます。うれしさや、ほっとする気持ちが伝わってくる素敵な表現だと思いました。
ハグをしたときに、あったかい気持ちがふわっとふくらむ感じや、心がまざりあう感覚を、見る人にぱっとわかってもらえたら、と思いました。思いついたときは嬉しかったです。
おばあさんのエピソードは、わたしの母がばったり友人に会ったときのことがもとになっています。そのとき、本当に嬉しかったみたいで(笑)、抱きあってさすりあって、涙が出たと何度も言っていました。

コロナの感染が広がったときには、そんなハグもできない時期がありました。
ちょうど、ラフを作っていた2年前、パンデミックのあとで、人と人との距離感が変わったなあと感じました。自分自身もですが、以前より誰かと会うときに遠慮してしまうというか、いらない気を使ってしまう。
時短、コスパが大事、メールやオンラインが便利、となって、良い面もあると思うんですけど、会わないから、なんでも言語化しないといけなかったり、言葉ばっかり特別扱いされすぎていると思いました。
そして、反面、言葉になっていない豊かな時間は、こぼれ落ちていってる気がして。誰かと、何も言わずに一緒にいたり、目を見たり、同じ風に吹かれたり、さわったり、ふざけたり。とても豊かなのに、そういう名前のない時間は、あっさりと切り捨てられてしまって。
確かにコロナの時期以降、SNS等のコミュニケーションが人間関係の中心になってきているような気がしますね。
でも、からだが、そこに「ある」ことって、コミュニケーションのランクでいったら、かなわない(笑)。あたりまえなんですけど(笑)。
コロナの後は、言葉で対立することが増えた気がします。なんというか、あちこちでケンカしているようにも感じました。そんな中で、今度は戦争のニュースが流れてきて……。残酷で悲しいし、人と人が離れていく世界に、気持ちが沈みました。

たくさんの人たちがハグをする場面も出てきます。
暗いニュースが流れる一方で、今も、毎日どこかで、ハグしている人が世界中にいるはず。いや、ぜったい普通にいる、って思ったんです。
暗いニュースばかり目にすると、明るい世界を忘れてしまいそうになりますよね。悲しい気持ちに押しつぶされそうになっている人も、たくさんいると思います。
わたしもそうです。無力感で、立ち往生してしまう。この世界の素敵なところが何も無くなったように思えてしまう。だけど、今、自分の目の前には、なんでもない日常があるし、葉っぱやひかりが揺れているし、もったいない。そして、戦地にも、きっと抱きあう人たちがいて。
戦場だと思われるがれきの上で抱きあう二人の場面には胸をつかれました。どういった思いで描かれましたか。
人間は、抱きあうことで、自分たちがいるところに、愛しい場所を作ることができる。どんな場所にいても、魔法みたいに、さっと幸福を作る力がある。幸せになる力で、抗う人たちがいる……という、希望のような、悔しさのような、願いのような、そんな気持ちが混ざり合っている場面です。
暗い場所で、怒りや悲しみではないものを見たいと思ったんです。

カバー袖の「あとがき」では、「だきしめなくても、目と目で。手と手で。こころがふれあって、あいてをだいじに思うことは、みんなハグ。」と書かれていますね。
絵本に入れられなかった「こころのハグ」のことを、あとがきに書きました。
日本人は特にですが、ハグというと、よっぽど親しくなければ、気恥ずかしい。子どもにとってハグは日常だけど、大人の、家族以外の人とのハグは、ハードルが高いかもなあ、と、書いているあいだ気になっていました。
だけど、握手したり、少しふれるだけで、目があうだけでも、心が伝わったり、気持ちが混ざりあう。それは、ハグと同じと思うんです。あいてによって、いろんなハグで、愛しい気持ちを伝えられたらいいな、と思います。
読んだあと、誰かと話したりするときに、「あ、もしかして、今、明るい色が混ざりあっているのかな」とか、そんなふうなイメージが生まれたとしたら、とても嬉しいです。
ほんとうにそうですね。人と人とのふれあいについて、さまざなことを感じさせてくれる絵本だと思います。ありがとうございました。


