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たまねぎとはちみつ

春(1)

2017.07.27

  先ほどミルクが姿を消した角にさしかかり、千春は再び足をとめた。また、あの音が聞こえた気がしたのだ。右手に延びている、小道の先から。
 道というよりも、ブロック塀のすきま、という感じだ。おとながひとり、ぎりぎり通れるくらいの幅しかない。毎日のように前を通り過ぎているのに、これまでちっとも気づかなかった。
 なにげなく奥をのぞいて、声がもれた。
「あれ?」
 数メートル先に、ミルクがいた。
 狭い道の真ん中に、とおせんぼうするみたいに、ちょこんと座っている。薄暗いなか、真っ白な毛がぼうっと光を放っているように見える。
「ミルク!」
呼んでみると、みいい、と目を細めて返事をした。
 なあんだ、と千春は思わず笑いそうになる。ミルク、遊んでほしかったんだ。紗希に会えなくてすねたわけでも、千春を無視したわけでもなくて、追いかけっこのつもりだったのかも。
 鳥の声に似ていたさっきの音も、ひょっとしたらミルクかもしれない。猫はたまに、想像もつかないような、妙な鳴き声を出すことがある。
 千春はしゃがんで、手をさしのべた。
「おいで」
 ミルクは寄ってこなかった。千春にむかっていたずらっぽく首をかしげてみせてから、一歩後ずさった。
 どうしようか、千春はつかのま迷った。学校の行き帰りには、指定された通学路を使う決まりになっている。
 知らない道は、危ないからだ。それから、知らないおとなも。先生もお母さんも、通学途中はくれぐれも気をつけるように、しつこく言う。みんな心配しすぎだよね、と紗希はおとなびた口ぶりで、千春に耳打ちしてくる。そんなに何度も言わなくたって、わかってるって。あたしたち、もう小さい子どもじゃないんだから。
 千春は腰を伸ばし、肩越しに背後をうかがった。あいかわらず誰も通らない。
 前に向き直ると、ミルクはさっきと同じ位置で、千春をじっと見上げていた。それから、片方の前脚を上げ、まるで手招きするみたいにちょいちょいと振った。
 ちょっとだけ。
 心のなかで言い訳して、千春は足を踏み出した。なぜか、紗希の声が耳によみがえっていた。千春、ひとりで大丈夫?

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  • 瀧羽麻子

    1981年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞。著書に『左京区七夕通東入ル』『左京区恋月橋渡ル』『左京区桃栗坂上ル』(小学館)『松ノ内家の居候』(中央公論新社)『いろは匂へど』(幻冬舎)『ぱりぱり』(実業之日本社)『サンティアゴの東 渋谷の西』(講談社)『ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよ』(集英社)など。

    写真撮影/浅野剛

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2024.12.22

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