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〈書評〉

『シリアからきたバレリーナ』(キャサリン・ブルートン 作/尾﨑愛子 訳/平澤朋子 絵)

戦火に追われ、大人にならざるをえない子どもたち(安田菜津紀・評)

「この世界には、私たちの居場所はどこにも存在しないのでしょうか」

シリアから隣国に逃れたある母親が、私にふと、漏らした言葉だ。これだけのことが起きているのに、なぜ世界は無関心でい続けるのか、なぜ自分たちの存在は無視され続けるのか––––難民とならざるをえなかった人々の叫びにも似た声を、取材を通して何度となく耳にしてきた。

この本の主人公であるアーヤは、故郷から突然引きはがされ、過酷な旅の中で父と引き裂かれ、そして安心安全を得られると信じていたはずのイギリスでもなお、「自分たちは迷惑な存在ではないか」と、心が引きちぎられるような思いを重ねてきた。後にバレエを通して新たに友人となるドッティとの出会いから、「ここ何ヵ月かではじめて、だれかが自分をちゃんと見てくれた気がする」と彼女が語ったのは、社会から「見えない存在」にされてきた彼女たちの境遇を如実に表している。

父の行方がつかめず、心がつぶれそうな思いをしている母と幼い弟を支えるアーヤは、まさに、「大人にならざるをえない子ども」だった。そんなアーヤと、バレエを通して心を通わせていくドッティは、大邸宅に暮らしながら、あまりに輝かしい存在である母の期待を一身に受けていた。一見、全く境遇の違う少女たちが、互いの胸の内を少しずつ分かち合うことで距離を縮めていく様子は、文化や背景の違う人々が「共に生きる」ためのヒントを示してくれているのではないだろうか。「難民を受け入れると、治安が悪くなる」といった偏見はいまだ根深いが、彼女たちの重ねていく時間にぜひ、触れてほしい。

戦争も制度の壁も、アーヤから「踊る」という心の底からの表現までは奪えなかった。それは彼女自身によって貫かれた意志と、周囲の人々の熱意や心づかいがあったからこそ守れたものだろう。一方で、制度と制度の狭間で、居場所を奪われる寸前だったアーヤの家族について、ドッティの父、ブキャナンが「おなじような家族が何百もいるにちがいない」と語っていたのは大切な投げかけだった。決してスポットライトの当たらない場所で、アーヤになれなかった少女が、この世界に無数に存在していることを忘れてはならない。難民認定率が1%に満たない日本もまた、その夢を阻む側に立ってしまっていることも。

イギリスでアーヤのバレエの先生となるミス・ヘレナは、ユダヤ人であり、たった一人家族と離れ異国へと逃れた難民だった人だ。「いつの時代にも、戦争はあったし、難民もいたのよね」と彼女が語るように、いまだこの世界では100人に一人が避難生活を強いられている状況が続いている。シリアでも爆撃や戦闘がおさまってはおらず、パレスチナでは圧倒的な力の不平等の元、人々の命や生活が脅かされ続けている。

アーヤは心の中でつぶやく。「あたしは難民として生まれたわけじゃない。みんなとそんなにちがわないの。というか、ちがわなかったの」。人は望んで難民になるわけではない。今なお命の危険に怯える人々に、私たちはどう、向き合うべきなのか。本書はそんな問いの、指針となりえる一冊だ。


安田菜津紀(やすだ・なつき)

1987年神奈川県生まれ。フォトジャーナリスト。NPO法人Dialogue for People副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとして、カンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は、陸前高田市を中心に被災地を記録しつづけている。著書に『君とまた、あの場所へ』『故郷の味は海をこえて』『写真で伝える仕事―世界の子どもたちと向き合って―』などがある。

 

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