道東に住む男たちは落ち着かない。いや最近は女性軍も参加すると聞く。サケが帰ってくるのだ。待ってましたと落ち着かない人たちは、釣具の手入れをし、餌の調達に余念がない。なかには網を準備する不埒な者も登場する。
そんなある日、友からの電話。「今年もそろそろですよ」と言うので出かけた。私は釣りはやらない。代わりに撮ろうという魂胆。毎年のことながら海は豊かである。群れるサケたちを見て「おかえり、ごくろうさん」と声をかけるのを自分の役目だと決めている。
海岸線を眼下に望む崖から見ていると、波打ち際に沿って移動する群れがメダカに見えておもしろい。なぜか釣り人はそれよりはるか沖合めがけて餌のついた釣り針をなげている。あれで釣れるかねえ、とつぶやきぼんやりながめる時間が、私は一番好きである。至福の時とはこんな時間をさすのだろうと、これもぼんやり思う。
遡上するサケの気持ちになりましょうという友の言葉に誘われて、7km先の上流まで2日かけて歩くことにする。途中老人だからと車で移動することはあっても、努めて要所要所は車を降りて歩くことにした。サケと同じように、クタクタヘロヘロとなって源流にたどりつく。
美しかったサケの体は産卵の場所取り争いで、傷ついてみるかげもない。私もあんな姿になっているのではないかと、水面をのぞくのが恐ろしくなった。毎年のドラマを今年も見せてもらった。雌は産卵、そして雄の参加でサケの一生が終わる。
死があちこちにあり、場所によっては川原が白く見える所もある。死の配当をもらう者が集まる。カラス、カモメ達、シマフクロウ、そして分解を担当する昆虫たち、それをごちそうになろうとカワガラスやセキレイの仲間が集まる。パーティである。産卵した卵そのものをねらう罰当たりなものもいるが、自然は全て織り込みずみで川はゆっくり流れている。
9月のイベントが終わると冬が山々の頂に顔をのぞかせる。人々は冬支度に忙しくなる。