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書評コーナー

『まほろ公園で、ふりむけば』(藤重ヒカル 作/小日向まるこ 絵)

60年前に流されすべてが新しくなった町で、5人の子どもが「思い出」とめぐりあう(あまんきみこ・評)

2025.01.31

 60年前、流された町、すべてが新しくなった町に暮らす人々は、その「思い出」を痛みのように長く胸に抱いています。けれど歳月の流れの中で、その人々がこの世に少なくなっていくとき、子ども達はどんなふうにそれを受けついでいくのでしょう。

『まほろ公園で、ふりむけば』は、5人の子どもが、それぞれの立場で60年前の世界にめぐりあう連作短篇です。
 場所は、まほろ公園。「“まほろ”というのは、古語という千年もむかしの言葉で“すばらしい場所”という意味です」と書かれているこの公園は、いつも自転車置き場には自転車がいっぱい、水遊び用の小川、ブランコ、話し声、笑い声、足音、車の音、ギターの音、鳥のなき声……と表現され、日本のどこにでもある楽しい遊び場です。けれど町が流される前は、サザンカが満開で有名な神社、「サザンカ弁天」の境内でした。

 キミコは土曜日の午後、いつもより少し遅れて公園に遊びにいき、マユはおじいちゃんと映画をみた夜の帰り、この公園を通りました。ナオキはピアノ教室がおわって友だちと雪遊びのつづきをしようと公園にいき、トオルは学校の四階の窓から公園のほうを見おろしたのです。そしてリョウタは、学校で「杉森小学校90年史」をもらった日、同じ学校卒業のおばあちゃんに早く見せようと公園に走っていきました。5人は、公園のどこでふりむいたでしょうか。

 キミコとマユの世界を読んだとき、ファンタジー・リアリズムという言葉がうかびました。キミコの母親、マユの祖父が久々の「昔」に出会い、その「思い出」を話した世界なのです。ナオキが出会ったのは、雪の日、流された古いピアノで昔の曲を弾く、サザンカのようにまっ赤な服を着た女の子でした。トオルは、60年前流された町のアルバムをみんな拾い集めたという背の低いダミ声のおじいさんに「アルバム図書室」に案内され、リョウタは同じ歳ぐらいの女の子と白いペガサスに乗って飛び、遠い運動場でおりると、そこにいたおじいさんが、たくさんの「思い出」で生まれた町や学校を、女の子と一緒に案内してくれたのです。

「この町には、人なんかいないさ。見えている人たちは“思い出”だよ」
「町の人があんなことがあったなあと思うと、わたしがアルバムから、そのときの写真を(心の中に)みせてあげる。昔は思い出す人がたくさんいたから忙しかったよ。今じゃあ、だいぶ少なくなった。もう半分くらいは草にのまれてきちゃったなあ」

 こんな不思議な言葉をあたたかく話すおじいさんは、いったいどこからあらわれたのでしょう。

 この連作短篇は、読むほどに5人の子どもの世界がひろがり深まります。その喜びをもとめて、わたしはこれからも読み返しをくり返すことでしょう。おわりに沢山の「思い出」で生まれたという幻の町で「管理人さん」とよばれているこの背の低いおじいさんの言葉を書かせてください。
「きみも、思い出をたくさんつくるといいぞ。こわがらず、めんどうくさがらず、いろんなことをやってみな。それだけ、思い出がふえる。思い出があれば、どんなにつらいことも、のりこえられる……」

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