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図工準備室の窓から

限定公開中!(第1話)

はじめに、そして『手と人』のこと

2011.02.02

BEFORE(39才)とAFTER(57才)の自画像。BEFOREのほうは「ええように描きすぎ」という声もあるが、このときはこうだったのである

 西宮の小学校で、38年間図工の先生をして、2007年の春、定年退職をした。その38年間のあれこれをここに書いていこうと思う。
あれこれ、のなかには、少しは図工の授業のこともはいると思うが、主として図工の授業という仕事を支えた周辺のこと、図工の先生という立場で小学校にいたから、見たり聞いたりやったりしたこと、について書くつもりだ。

 まず書いておきたいのは『手と人』のことである。

 西宮の小学校の図工の先生の集まりが出している機関誌が『手と人』。その集まりは、学級担任をしながら図工のことも勉強したいという人と、図工専科と呼ばれる人でできている。図工専科は学級を持たず、複数の学年、学級の図工だけを担任する。僕はこの図工専科をしていた。

 図工の先生はどの学校にもいるとは限らない。決められた数以上の学級数があって、その学校が必要と判断すれば置ける。西宮では八割強の学校にいる。音楽専科はどの学校にもいると思う。式にピアノを正しく弾ける先生がいると安心だし、ピアノが苦手で音楽の授業はどうも、という先生も少なくないからだろう。絵が苦手だったり、両刃鋸の縦挽きと横挽きの違いを知らなかったりしても、図工の授業はできる。らしい。

『手と人』は1年に5冊出る。市内40何校を5つのブロックに分け、どのブロックも年に1冊作る。1人が1年に1本書く。ながくても短くても

 いい。何を書いてもいい。授業のこと、学校のこと、展覧会とか本のこと、日々の暮らし、趣味、人生について……。創刊は1976年。イワタ先生と僕が創刊を呼びかけた。阪急夙川駅すぐ南の喫茶店で原案を練った。『手と人』の表紙のどこかに、こう書かれている。

––––絵をかいたりものをかたちづくったりすることが、子どもの成長にすごく大切であると考え実践している仲間のミニコミ誌

 気概に溢れた惹句ではありませんが、図工の先生になって8年目にこういう文章を書けるイワタさんの骨太な覚悟に、今さらながら感動を覚えるのである。

 ぼくは31年間、『手と人』と付き合った。このあとここに書く文章のいくつかは『手と人』に発表したもの、あるいはそれをもとに書きなおしたものである。

 あるとき職員室で、隣の席の音楽の先生がぼくの机の『手と人』を見て、音楽の集まりでも機関誌を出そうかしらとつぶやいた。ぼくは誌名を提案した。『耳と心』はどうでしょう。それはすてき、と音楽の先生が目を輝かせたので、あわててとめた。ハジという字になるのである。

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profile

  • 岡田 淳

    1947年、兵庫県に生まれる。神戸大学教育学部美術科卒業。図工専任教師として小学校に38年間勤務。その間から斬新なファンタジーの手法で独自の世界を描く。『放課後の時間割』で日本児童文学者協会新人賞、『学校ウサギをつかまえろ』で同協会賞、『雨やどりはすべり台の下で』でサンケイ児童出版文化賞、『扉のむこうの物語』で赤い鳥文学賞、「こそあどの森」シリーズで野間児童文芸賞受賞。その他の作品に、『二分間の冒険』『選ばなかった冒険』『ふしぎの時間割』『竜退治の騎士になる方法』『フングリコングリ』『カメレオンのレオン』『願いのかなうまがり角』など多数。

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