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書評コーナー

『ホテル・バルザール』( ケイト・ディカミロ 作/ジュリア・サルダ 絵/横山和江 訳)

暗闇の向こうに星を思いつづける勇気を、あなたはもっていますか?(なかがわちひろ・評)

2025.10.06

風格のある古いホテルに泊まれるとしたら、胸がときめきますよね。
豪華なロビーにはベルベットの長椅子、金と緑のクッション、天使の翼を片方だけ描いた油彩画に、大きな振り子時計。とびきり非日常の空間で素敵な物語が始まりそう。

でもマルタの場合、そこは日常をすごす場所でした。
しかも息を潜めて暮らさなくてはなりません。なぜなら、マルタのお母さんがホテルの清掃作業員だから。一日じゅう小さなネズミのように静かにしているのよ。ロビーに行ってもいいけど、なにひとつさわらず、だれにも話しかけず、人の目につかないように注意しなさい。マルタは、お母さんにきつく言いつけられていました。
マルタのお父さんは戦争にいったきり帰ってきません。

生活に追われるお母さんは悲しい目をして、夜にしくしく泣いています。月日とともに希望は小さくなっていくばかり。現実の息苦しさがマルタを「見えない存在」へと薄めていきました。

ある日、豪華客室に泊まるお客様として、年老いた伯爵夫人が訪れます。
そして物陰に隠れていた、見えないはずのマルタを、いともたやすく発見するのです。

鋭い眼力をもつ謎めいた伯爵夫人は、魔女なのかもしれません。
冷たい空気とともに登場したし、高飛車な物言いだし、全身真っ赤な服装で、肩には緑色の巨大なオウムをとまらせているのですから。しかも、このオウム。かつては人間で、たくさんの戦争で武勲をあげた将軍だったというではありませんか。
ジュリア・サルダの挿絵はビアズリーのように耽美で、ユーモアもほんのりあるのだけど、隠し味として耳かきいっぱいほどの毒が含まれています。だから、なんとなく怖い……。

それでもマルタは、おかあさんの言いつけを破って、少しずつ伯爵夫人に近づいていきます。
なぜか惹かれるのです。

だって、マルタのことを「ひとすじの光ちゃん」と呼んでくれるから。
かつて、お父さんも、マルタのことをそう呼んでくれたから。

マルタを部屋に招き入れた伯爵夫人は、マルタに七つの物語を語ることが、彼女にとっても大切な作業なのだと告げます。どうやら、お父さんとなんらかの繋がりがありそう。
なあんだ、おそろしい魔女ではなくて、やさしい魔女だったのね!

ところが伯爵夫人の物語は、必ずしもマルタの望むものではありません。
お父さんの消息や、いつかきっと帰ってくるという予言、あるいは、なにか大切な意味をききたいのに、まったく関係のない話ばかり。かすかに仄見えた希望を信じたとたんに、はぐらかされることのくりかえし。マルタは苛立ちます。
現実とかけ離れた物語なんて、なんの役にもたちはしない。信じるなんて、ばかみたい。

ひょっとすると、結末にむかってわかりやすくは進まない物語に、読者も試されているのかもしれません。
希望を捨てずに暗闇の向こうに星を思いつづける勇気を、あなたはもっていますか。
かすかに光る点と点を結んで星座をかたちづくることができますかと。

謎は、最後にも残ります。
ん? つまり伯爵夫人って……?
でもほら、物語はけっして終わらないものだそうですよ。
それに人生と曲がった線は、いつも自由なのだとか。

端正な訳文に導かれて読後の余韻にひたりつつ、あなたも、あちこちにちりばめられた光を星座に結んでみてください。

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