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〈書評〉

昆虫写真から広がる、今森光彦さんの世界(飯沢耕太郎・評)

『 ミツツボアリをもとめて アボリジニ家族との旅』(今森光彦  文・写真)

 今森光彦さんとのお付き合いもずいぶん長くなった。1954年生まれの彼とはほぼ同世代。私が写真評論家として活動しはじめた1980年代に、彼も本格的に写真家としての仕事を開始したので、どこか同志と言いたくなるような共感がある。同時に、今森さんの歩みは、そのまま日本の自然写真の展開と重なり合っている。彼の仕事を通じて、日本の現代写真の重要な一フィールドである自然写真の広がりを見つめ直すことができそうに思えるのだ。

 今森さんの写真家としてのスタートは世界を股にかけた昆虫写真だった。大学の頃からボルネオ島に通い詰め、80年代になると毎年東アフリカを訪れるようになる。初期の代表作といってよい『写真昆虫記 スカラベ』(平凡社、1991年)はその成果をまとめたものだ。また、生まれ故郷の滋賀県大津市をはじめとする琵琶湖周辺でも撮影を重ね、『今森光彦 昆虫記』(福音館書店、1988年)の刊行に結びつけた。姉妹編の『今森光彦 世界昆虫記』(福音館書店、1994年)は、38カ国を20年近くにわたって撮影した写真をおさめた大作で、第20回木村伊兵衛写真賞を受賞するなど、昆虫写真家としての金字塔となった。

 だが、新潮社刊行の自然雑誌『マザー・ネイチャーズ』及び『シンラ』に1992年から連載し始めた「里山物語」は、それまでの彼の写真の仕事とは一線を画するものとなった。1995年に写真集『里山物語』(新潮社)として刊行される同シリーズでは、琵琶湖湖岸の自然環境と人間の営みとが溶け合うように共存する環境=「里山」に目を向けている。それまで日本の自然写真家たちは、“遠い”国々へと足を運び、彼らにとっての未知の世界を探求しようとしてきた。ところが、今森さんはよく見慣れた、まさに足元の「里山」の自然にこそ豊かな「生命の小宇宙」が広がっていることを、説得力のある写真と文章で解き明かしてくれたのだ。

 以後、今森さんの仕事の範囲は昆虫写真家としての枠を超えて大きく広がり、琵琶湖周辺だけでなく日本各地の「里山」に足を運び、農業を中心に人々の暮らしのあり方を見つめ直すようになっていく。「里山」という言葉は、以前から生態学や環境問題の専門家の間では使われていたのだが、それが広く一般的に知られるようになったのは、今森さんの多大なる貢献によるところが大きい。

 それでも、彼は写真家として初心、あの未知なるもの、“センス・オブ・ワンダー”の探求への強い思いを忘れてしまったわけではない。それは本作『ミツツボアリをもとめて アボリジニ家族との旅』をひもとけばよくわかるだろう。本書の舞台となっているのは、巨大な岩々が連なる南オーストラリアの砂漠地帯である。今森さんは、そこに生えるマルガという木の蜜を吸い、おなかを壺のようにふくらませて貯めこむミツツボアリという不思議な昆虫を探しもとめて、原住民のアボリジニの家族とともに旅する。ようやく見つけたアリの巣穴のなかの光景は驚くべきものだった。天井からぶら下がったミツツボアリの、飴色、あるいはワイン色の丸いおなかは、宝石のような光沢を放っている。まさに昆虫写真家としての経験と技術とが結晶した、珠玉の写真群といえる。

 

 だが、それだけではなく、本書の全体は、あたかも人類学者のフィールドワークのような写真と文章で構成されている。昆虫とその生態という狭い領域に写真を閉じ込めるのではなく、神話や宇宙観までも広がっていくような人間の生の営み(もしかすると死者たちの世界すらも含みこむ)へと開いていこうとする今森さんの写真の方向性がはっきりと浮かび上がってくるのだ。それはこれまで偕成社から刊行された『神様の階段』(2010年)、『川をのぼって森の中へ ボルネオ島マハカム川の旅』(2013年)といった写真絵本とも共通する志向性といえるだろう。

 今森さんの写真家としての旅はまだ終わっていない。それどころか、より豊かなふくらみを備えてきている。そのことがよくわかる一冊だった。


飯沢耕太郎(いいざわ・こうたろう)

写真評論家。きのこ文学研究家。1954年、宮城県生まれ。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。主な著書に『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書1996)、『デジグラフィ』(中央公論新社 2004)、『写真的思考』(河出ブックス 2009)、『泉鏡花きのこ文学集成』(作品社 2024)など。他にも写真やきのこに関する書籍を多数執筆。

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