「早く読みたい、でも、読み終わりたくない」
上橋菜穂子/作家
『シロガラス』を読むたびに、いつも、
「う~! こういうの書きたかったんだよなぁ。佐藤さんに先にやられちゃったなぁ」
と、思います。
佐藤さんと私は同い年。
好きだった物語も、かぶっていることが多くて、性格の違う多くの子どもたちが活躍する『ツバメ号とアマゾン号』シリーズや『カッレ君』シリーズなど、ふたりとも大好きなのです。
子どもたちが大冒険をする物語は数多く書かれていますが、私が傑作だと思う物語は、すべて、「物語の躍動感と突き抜けた感じ」と「子どもたちのリアル」が生き生きと連動しています。
これ、とても難しいことなんですよ。複数の、性格が違う子どもたちをリアルに描き分けながら、物語としての躍動感を生み出していくというのは、本当に難しいことなんです。
子どもたちが実際にできること、子どもたちにとって大切なこと、子どもたちの視線、子どもたちの視野……そういうものが本当の意味でしっかり書かれていないと、物語は嘘っぽく、安っぽくなってしまう。
子どもたちが、現実の暮らしの中で、本当に嫌だ、哀しい、つらいと思っていることを、子どもたちが決して持ちえないスーパー・パワーで解決してしまっては意味がない。
一方で、「リアルであること」に気を取られ過ぎると、物語の命である大らかな「ありえないけど、面白いこと」、突き抜けた躍動感が妙に縮まされてしまう。
佐藤さんは、この匙加減が天才的に上手いのです。
『シロガラス』の主人公たちは、各自様々な超能力を身につけていくし、これを発揮する瞬間は実に爽快。これまで気づかなかったことに気づく驚き、ワクワクする感じ、危険なドキドキ感もあって、これぞ物語の醍醐味! という気がします。
その一方で、彼らがそれぞれ心に抱えている様々な悩みや葛藤は、超能力では解決できない。むしろ、人ができる最良のことを成し得たとき、超能力もまた、彼らにとって恵みになるようです。
ひとつひとつ謎を解いていく、その姿も過程にも、作者にとって都合がよい嘘がない。だから物語が長くなっちゃうわけですが、でも、本当に面白い物語は読んでいる間が幸せなので、長い方がうれしいものです。
先が知りたい。早く読みたい。でも、読み終わりたくない。
そう思う物語こそ、本当に面白い物語なのだと私は思っています。
『シロガラス』の五巻目は、いよいよ過去がうっすらと見えて、「危険」の本体が姿を現し始めます。
どの子も、その子なりの精一杯で、そして、友だちのことを思いやりながら、「危険」に向き合っていく。
早く先を知りたい。でも、この子たちの物語をいつまでも読んでいたい。
佐藤さん、他の仕事は全部放り投げて、『シロガラス』の続きを早く書いて!!