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放課後の文章教室

第5回 自分を書く 5(最終回)

あなたの文章はあなた自身

「書くこと」について、若い人からの質問に、作家・小手鞠るいさんが答えます。

––––有名な作家になりたいと思っています。作家になれば、自分の言いたいことが言えるし、人からも尊敬されて、かっこいいし、こんなオイシイ仕事はないと思います。小手鞠さんの連載を読んでいて「小説家にとっては、体験と読書(疑似体験)が大きな武器になる」ということはよく理解できましたが、ほかにはどんな能力が必要でしょうか? 作家になるための「感性」というものは、持って生まれたものですか? それとも、努力次第で作家向きに鍛えることができますか? 差し支えない範囲でご回答ください。

(作家志望、現在高2、もぐら) 

 作家志望のもぐらさん、メールを下さって、ありがとう。
 まず「有名な作家」ということばに、笑ってしまいました。
 なぜって、実は私も中学生のときに、文芸クラブの先生に向かって、同じことを言った覚えがあるからです。
 そのとき、顧問の先生から返されたことばも覚えています。
 「有名になるのは、とてもかんたんよ。洋服を脱いで、はだかになって、そのへんを走ってきなさい。それだけで有名になれるから」
 笑いながらそう言ったあと、先生は真顔になって、こう言いました。
 「でもね、作家になるのはとてもむずかしい。その覚悟はできているの?」
 中学生だった私には、覚悟なんてできていなかったし、そもそも自分が作家になれるなんて、つゆほども思っていなかったはずです。
 ただの「夢」だった作家が、「目標」に変わり、やがて「悲願」に変わっていたころ、やなせたかしさんはこんなことを言って、私を叱咤激励して下さいました。
 「才能と努力と運。この3つが揃っていても、作家になるのはむずかしい。それでもなりたければ、覚悟を決めてがんばりなさい」
 才能と努力と運。
 3つが揃っていてもだめなのか、と、目の前がまっくらになりましたが、それでも私にできることは「努力」だけだと思い、30代から50代になるまでのおよそ20年間、ひたすらがんばりつづけました(今もまだがんばっていますが)。
 今の私が思うに、作品を書き上げる、新人賞を取る、あるいは、編集者の目に留まる、本を出す。ここまでなら、努力だけで、なんとかなります。
 しかし、その先がむずかしいのです。その先とは––––
 作家でありつづけること。
 これです。
 これがいちばんむずかしい。どんなに才能があって、どんなにいっしょうけんめい努力を重ね、どんなに幸運に恵まれていても、作家でありつづけるのは、むずかしいことなのです。
 画期的な方法などありません。才能と努力と運のほかに、何が必要なのか、私にはいまだにわかりません。
 わかりませんが、今の私にできることは、ただ、書きつづけていくことだけです。
 なぜなら、私には「書くこと」しかできないから。
 言ってしまえば「それしかできない」ということ。もしかしたらこれが、作家にとって、最大の武器なのかもしれません。もしももぐらさんが「書くことしか、自分にできることはない」と思っているのだとしたら、それは、あなたの弱みではなくて、強みである。これが、私から今のあなたに贈りたいことばです。
 作家になるための「感性」についても、私にはなんとも言えません。
 私自身にそういう感性があるのか、ないのか、それもわかりません。
 ひとつだけわかっていることは、作家というのは終始「自分」について、考えている生き物ではないかということです。
 自分とは、どういう人間なのか。
 自分は何者なのか。
 どこからやってきてどこへ行くのか。
 なぜ、書くのか。
 常に自分に問いかけながら、答えの出ない問いを自分に突きつけながら、自分を見つめ、自分の暗部を見つめ、ときにはそれを暴きながら、文章を書きつづけていく。
 しぶとく、しつこく、自分自身に食い下がって。
 そういう能力を「感性」と呼んでいいなら、確かにそういう感性は、作家には必要なのではないかと思います。また、努力次第で、それを鍛えることもできるのではないかと思います。
 そういえば以前、岡山大学の夏期集中講座で「小説の書き方」について講義をしたとき、私は学生たちにこんな課題を出しました。
 「あなたのいちばんよく知っていること、もしくはもの、もしくは人について、短編小説を1本、書きなさい」
 いちばんよく知っている、というところがポイントです。
 いろいろな小説が提出されました。恋愛小説もあったし、歴史小説もあったし、ミステリーもありました。とにかく小説には、学生たちが「自分がいちばんよく知っていること(もの、人)」が描かれていたわけです。
 ひとりだけ「自分について」書いていた学生がいました。
 この人は作家になれるだろう、と、私は思いました。
 ひとりの人間が、ほかの何をさておいても、何よりも「いちばんよく知っている」のは自分である、ということを、彼は理解していたからです。
 自分を書く。
 それはすなわち、人間を書く、ということです。
 人は、他人のことを細部まで完璧に知ることはできません。絶対に。でも、自分のことをすみずみまで知ることは、努力次第でできます。そのことを、この学生は知っていた。これもまた作家に必要な感性なのもしれません。
 ここで、江國香織さんの文章を読んでみて下さい。
 エッセイ集『物語のなかとそと 江國香織散文集』(朝日新聞出版)に収録されているエッセイ「“気”のこと」からの抜粋です。

 ここのところ、〝気〞について考えている。私の〝気〞は無駄に活発だ。
 なぜ無駄になのかといえば、私は気働きができるわけでも気がきくわけでもないからで、それなのに気が急いたり気が咎めたり、気が高ぶったり気がひけたりはしょっちゅうする。気おくれしたり気を呑まれたり、気が気じゃなかったりもする。瑣末なことが気になって仕方のない性分なのに、大事なことに気づかなかったりもする。どうなっているのかわからない。しっかりしてくれ、と私は私の〝気〞に言いたい。
 ともかく、〝気〞というのはたらに運動量の多いものなのだ。沈んだり浮き立ったり、もめたり晴れたり大きくなったり、重くなったり軽くなったり、立ったり抜けたりするかと思えば、いきなり転倒したりもするものだから、運動の苦手な私は翻弄され、疲弊してしまう。
 それに〝気〞には謎が多い。たとえば、私はよく人に、「気を回しすぎだよ」と言われるのだが、「気が回るね」と言われたことは一度もない。どういうことなのかわからない。私の〝気〞は、人に回されることはできても、自ら回ることはできないのだろうか。

 作家になりたい人も、特になりたくない人にとっても、「書くこと」は一生、あなたについてまわります。
 どんな職業についても、あなたは日々、何かを書くことになるでしょう。
 手紙やメールのほかにも、企画書、依頼書、請求書、始末書、各種お知らせ––––。
 どんな文章を書いても、そこには「あなたという人間」が現れます。
 たった1行であっても、たったひとことであっても。
 あなたの書いた文章はあなた自身、あなたそのもの、だからです。
 生きている限り、好むと好まざるとにかかわらず、あなたは一生、毎日「自分を書きつづけていく」のです。
 そう思うと、今、あなたの発したその言葉、あなたの書いたその文章が、どれだけたいせつで、どれほどかけがえのないものなのか、わかっていただけることでしょう。
 もぐらさん、またいつか、どこかで会いましょう。
 そのときあなたは、有名な作家になっているのでしょうか。
 あなたの書いた作品が読める日を、私は楽しみに待っています。

〈終わり〉

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。1993年『おとぎ話』が海燕新人文学賞を受賞。さらに2005年『欲しいのは、あなただけ 』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん 』(講談社)でボローニャ国際児童図書賞(09年)受賞。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。主な作品に、『エンキョリレンアイ』『望月青果店』『思春期』『アップルソング』『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』『星ちりばめたる旗』『きみの声を聞かせて』など。

今日の1さつ

関ヶ原の戦いに興味を持った息子が図書館でかりてきたら、他の戦いや戦争等にも関心を持ち、常に借りてくるので購入しました。小1にもわかりやすいです。(7歳・お母さまより)

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