icon_twitter_01 icon_facebook_01 icon_youtube_01 icon_hatena_01 icon_line_01 icon_pocket_01 icon_arrow_01_r

放課後の読書クラブ

第2回 作家と再会する 前編

魅力的なペテン師

「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。

 30代になったばかりのころ、バックパックひとつで、長い旅に出た。当時、就いていたふたつの仕事──学習塾の講師と書店でのアルバイト──を辞め、住んでいたアパートを引きはらって、身ひとつで日本をあとにした。

 行き先はインド。

 所持金がなくなるまで、インドを歩きまわろうと決めていた。

 この無謀な旅に出るきっかけをつくってくれたのは『深夜特急』(沢木耕太郎著)と、『印度放浪』(藤原新也著)の2冊。どちらも20代のころから愛読していた作家の作品である。

 背中に背負ったバックパックのなかに入っていたのは、下着や衣類や洗面道具のほかに、文庫本が1冊きり。しかしそれは、沢木さんの本でもなく、藤原さんの本でもなく、三島由紀夫の『金閣寺』だった。

 すでに何度か読んだ本だったのに、私はなぜ、この本を選んだのか。

 だれか(作家名は思い出せません)の書いたエッセイか何かで、三島由紀夫が「2種類の人間がいる。インドへ行ける人と、行けない人だ」(正確な引用ではありません。記憶だけにもとづいて書いています)と語った──というような文章を目にして、それが心に残っていたせいだったのではないかと思う。また、たまたま『豊饒の海』(インドも出てきます)を読んだばかりだったことも、影響していたのかもしれない。

 なにはともあれ、4ヶ月間、貧乏旅行をつづけながら、わたしはくり返しくり返し『金閣寺』を読んでいた。

 あるときは「シーツを取りかえてください」と頼んだら、目の前でさぁっとシーツを裏返され「はい、取りかえましたよ」と、笑顔で言われた安宿の硬いベットの上で、あるときは「列車は少し遅れています」と駅員に言われて、夕方6時発の夜行列車が夜中の3時発になるとも知らず、プラットホームのベンチで延々と、来ない列車を待ちながら、ページをめくりつづけていた。

 この本をインドへ持っていったことは、大正解だった。なぜなら、何度、読んでも、飽きるということがなかったから。

 『金閣寺』は1956年(昭和31年)に出版されている。奇しくもこれは、わたしの生まれた年だ。

 文庫本は、4年後に初版本が出ている。わたしがインドでめくりつづけていたのは、それから約30年後の昭和62年に出た67刷版である。

 その文庫本が今も、わたしの手もとにある。

 このエッセイを書くために、書庫から探しだしてきた。

 30年ぶりの再会である。

 まっさきに最後のページを開いて、最後の3段落を読んでみる。

 

気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。

ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルモチンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。

別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。

 

 金閣寺に放火して、自分も死のうと思っていた主人公は、最後に「生きよう」と思う。この「生きよう」は、希望のことばではなくて、絶望のことばである。

 この最後の一文を読むと、どうしてもまた冒頭にもどって、最初から読みかえさずにはいられなくなる。冒頭は「幼児から父は、私によく、金閣のことを語った」と始まる。

 この冒頭がいかにして、最後のあの一文──「……生きようと私は思った。」にたどり着くのか、一から確かめないではいられなくなる。

 三島由紀夫は、ペテン師だと思う。

 わたしにとって、魅力的な作家とは「超一流のペテン師」なのである。

バックナンバー

profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。同志社大学卒業。小説家。詩とメルヘン賞、海燕新人文学賞、島清恋愛文学賞、ボローニャ国際児童図書賞などを受賞。2019年には『ある晴れた夏の朝』(偕成社)で、子どもの本研究会第3回作品賞、小学館児童出版文化賞を受賞。主な作品に『エンキョリレンアイ』『きみの声を聞かせて』『アップルソング』『思春期』『初恋まねき猫』『放課後の文章教室』『空から森が降ってくる』など多数。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。

今日の1さつ

最近絵本よりもYouTubeを見ていた息子ですが、この本はキャッキャッと笑いながら楽しんでいます。何故かふくろうさんの舞踏会のお面が大好きらしいです。(2歳・お母さまより)

pickup

new!新しい記事を読む