「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。
30代になったばかりのころ、バックパックひとつで、長い旅に出た。当時、就いていたふたつの仕事──学習塾の講師と書店でのアルバイト──を辞め、住んでいたアパートを引きはらって、身ひとつで日本をあとにした。
行き先はインド。
所持金がなくなるまで、インドを歩きまわろうと決めていた。
この無謀な旅に出るきっかけをつくってくれたのは『深夜特急』(沢木耕太郎著)と、『印度放浪』(藤原新也著)の2冊。どちらも20代のころから愛読していた作家の作品である。
背中に背負ったバックパックのなかに入っていたのは、下着や衣類や洗面道具のほかに、文庫本が1冊きり。しかしそれは、沢木さんの本でもなく、藤原さんの本でもなく、三島由紀夫の『金閣寺』だった。
すでに何度か読んだ本だったのに、私はなぜ、この本を選んだのか。
だれか(作家名は思い出せません)の書いたエッセイか何かで、三島由紀夫が「2種類の人間がいる。インドへ行ける人と、行けない人だ」(正確な引用ではありません。記憶だけにもとづいて書いています)と語った──というような文章を目にして、それが心に残っていたせいだったのではないかと思う。また、たまたま『豊饒の海』(インドも出てきます)を読んだばかりだったことも、影響していたのかもしれない。
なにはともあれ、4ヶ月間、貧乏旅行をつづけながら、わたしはくり返しくり返し『金閣寺』を読んでいた。
あるときは「シーツを取りかえてください」と頼んだら、目の前でさぁっとシーツを裏返され「はい、取りかえましたよ」と、笑顔で言われた安宿の硬いベットの上で、あるときは「列車は少し遅れています」と駅員に言われて、夕方6時発の夜行列車が夜中の3時発になるとも知らず、プラットホームのベンチで延々と、来ない列車を待ちながら、ページをめくりつづけていた。
この本をインドへ持っていったことは、大正解だった。なぜなら、何度、読んでも、飽きるということがなかったから。
『金閣寺』は1956年(昭和31年)に出版されている。奇しくもこれは、わたしの生まれた年だ。
文庫本は、4年後に初版本が出ている。わたしがインドでめくりつづけていたのは、それから約30年後の昭和62年に出た67刷版である。
その文庫本が今も、わたしの手もとにある。
このエッセイを書くために、書庫から探しだしてきた。
30年ぶりの再会である。
まっさきに最後のページを開いて、最後の3段落を読んでみる。
気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。
ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルモチンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。
別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。
金閣寺に放火して、自分も死のうと思っていた主人公は、最後に「生きよう」と思う。この「生きよう」は、希望のことばではなくて、絶望のことばである。
この最後の一文を読むと、どうしてもまた冒頭にもどって、最初から読みかえさずにはいられなくなる。冒頭は「幼児から父は、私によく、金閣のことを語った」と始まる。
この冒頭がいかにして、最後のあの一文──「……生きようと私は思った。」にたどり着くのか、一から確かめないではいられなくなる。
三島由紀夫は、ペテン師だと思う。
わたしにとって、魅力的な作家とは「超一流のペテン師」なのである。