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放課後の読書クラブ

第12回 旅行記を読む 後編

長い旅の途上でグリズリーに会う

「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。

 写真家でもあり、冒険家でもあった星野道夫さんの文章を読んだことのある人は、多いのではないかと推察する。

 光村図書発行の国語の教科書「国語3」には、星野さんの著書『旅をする木』(文春文庫)に収められている「アラスカとの出会い」が載っている。星野さんの撮影した北極ぎつね、北極ぐま、カリブー、オーロラなどの写真とともに。

 星野さんは10代のころ、北海道の大自然に強く心を惹かれていたという。「その当時読んだ、さまざまな本の影響があったのだろう。あの頃、北海道は僕にとって遠い土地だった」と、星野さんは「アラスカとの出会い」の中に書いている。そのあこがれはいつしか、北アメリカ大陸の北端にあるアラスカへと向かっていく。 

 このあこがれがどのような経緯を経て現実になったのか、星野さんは夢をかなえるためにどんな行動に出たのか、それはここには書かない。星野さんの本を読んで、あるいは写真集を見て、自分の目で確かめてほしい。それが星野さんとあなたとの、かけがえのない出会いになるだろうから。

 わたしと星野さんの「出会い」は、いっぷう変わった形をしていた。

 あれは、わたしがアメリカで暮らすようになる前、東京で、雑誌のフリーライターとして働いていた30代の初めごろのことだった。ライター仲間や編集者たちが集まって、情報交換を兼ねた親睦会のようなものが開かれることになり、それに参加していたとき、近くに座っていたひとりの女性がだれかに(わたしに、ではありませんでした)、
「わたしは今、星野道夫さんの本を編んでいるの」
と、言ったのだった。

 それだけなら特に、心に残らなかったかもしれない。当時のわたしは、大自然や動物や動物写真にはほとんど関心がなかったし、星野道夫さんのことは名前だけしか知らなかった。けれども、
「本のタイトルはね、『風のような物語』っていうの」
 このことばがわたしの胸にすーっと食いこんできた。風のように吹いてきた、と言うべきか。ありていに言えば「いいタイトルだな」と思った。

 シンプルなのに、奥行きと広がりがある。「風」ということばと「物語」ということばを結びつけているだけなのに、そこから見えてくる景色は雄大であり、清涼な風が吹いているのに、物語は華麗でもある。

 正確には『Alaska風のような物語』(小学館)というこの作品集は、1991年に刊行されている。タイトルだけは心に残っていたものの、わたしはこの本を買って読むこともなく、その翌年に渡米し、渡米後は星野さんのことをすっかり忘れてしまっていた。

 星野さんとの「再会」は、1999年5月に刊行された『長い旅の途上』(文春文庫)だった。星野さんがひぐまに襲われて亡くなってから、3年後に出版された作品である。

 このときも、タイトルに惹かれた。

 著者名よりもタイトルだったという気がする。新刊情報か何かでタイトルと内容説明を目にして、すぐに注文リストに加えた(わたしは毎月、ニューヨークに支店のある日本の書店から、まとめて取り寄せ注文をしています)。

 自宅に届いた本を開いて、ああ、なんてぜいたくな1冊なのだろうと感嘆した。

 5部構成になっていて、第2部はカラー写真、第3部はモノクロ写真付きのエッセイ、そして第5部には『Alaska風のような物語』には収録されていなかった連載エッセイが20編。

 第1部の冒頭のエッセイ「はじめての冬」を読み始めて5分も経たないうちに、わたしは星野道夫さんの世界に引きこまれてしまい、それ以降、現在まで、ファンを自称している。『星野道夫著作集』全5巻(新潮社)は、わたしの宝物であり、何度、読みかえしても飽きるということがない。便宜上「旅行記」という名称でくくってみたものの、これは旅行記でもなく、旅のエッセイでもなく、紀行文でもなくて、なんだろう、やはり「文学」としか言いようのない文章の世界である。

 大人になって、私たちは子ども時代をとても懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になったさまざまな遊び、今は、もう消えてしまった原っぱ、幼ななじみ……なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。過去とか未来とかは、私たちが勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。まだ幼い子どもを見ている時、そしてあらゆる生きものたちを見ている時、どうしようもなくきつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。

 星野道夫さんは「写真家でもあり冒険家でもある」と、わたしはこのエッセイの冒頭に書いた。けれどもわたしは、こうも思っている。

 星野さんは生まれながらにして作家であり、比類なき文章家であり、天才作家が写真を撮り、アラスカに移り住み、幾多の冒険をしたのだ、と。

 奇しくも『開高健のパリ』の解説のなかで、角田光代さんは「作家には、完成型と成長型があると私は思っている。完成型の作家は、十代だろうが二十歳そこそこだろうが、デビューしたときにすでに確固たる文体を持っている。その文体で提示する世界観もすでに会得している」と書いている。開高健がそうであったように、星野道夫もまた「完成型」だったのだと、わたしは思う。

 星野さんにしか選べないことば、星野さんにしか書けない文章、星野さんにしか持てない視点、すみずみまで張りめぐらされた葉脈のような思想。たとえその文章に瑕疵、あるいは、ほころびのようなものがあったとしても、それさえも美しい。まるで写真家が巧みに計算して、ぼかしやぶれを取りこんでいるかのように。

 美しくて強い、工芸品のような文章である。

 アラスカはたぐいまれなスケールの大きさをもち、しかも原始性と純粋性を秘めた世界であった。生物の種類はきわめて少なく、生命の連鎖は単純である。つまり極北の生態系は微妙なバランスに保たれている世界なのだ。おそらく、地球上で最も変化に弱く、傷つきやすい自然なのだろう。食物連鎖の頂点にあるグリズリーですら、その宿命をのがれることができない。

(中略)

 アラスカはこれからもグリズリーの大地でありつづけるのだろうか。アラスカにも巨大な資源開発の波が少しずつ押し寄せている。いつか長い年月がたち、かつてカリブーの群れを探した山の上に立ったとき、私はあの日のように、アラスカの原野をさまようグリズリーを見つけることができるだろうか。

『新装版 グリズリー アラスカの王者』
(平凡社 平凡ライブラリー)より

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。同志社大学卒業。小説家。詩とメルヘン賞、海燕新人文学賞、島清恋愛文学賞、ボローニャ国際児童図書賞などを受賞。2019年には『ある晴れた夏の朝』(偕成社)で、子どもの本研究会第3回作品賞、小学館児童出版文化賞を受賞。主な作品に『エンキョリレンアイ』『きみの声を聞かせて』『アップルソング』『思春期』『初恋まねき猫』『放課後の文章教室』『空から森が降ってくる』など多数。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。

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日常生活の中でよく目にする物ばかりが登場し、音葉の音が楽しく、娘も喜んで見ています。絵本を読む親子のひとときに、とても楽しませてもらっています!!娘の喜ぶ顔を見られて、とても幸せです♡(0歳・お母さまより)

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