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放課後の読書クラブ

第9回 恋の物語 前編

体験と想像の恋

「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。

 先ごろ、こんなおたよりをいただいた。

 【小手鞠るいさん、はじめまして。私は京都に住む小学6年生です。読書が好きで、文章を書くことも好きです。わたしは書くことは好きだけど「書ける」と思うまでに時間がかかります。それに物語を書こうと思ってもネタが見つかりません。小手鞠さんの物語のもととなるアイデアやイメージはどこからわくのですか。お教えいただけないでしょうか。京都在住、本の虫より】

 まるで、小学生だったわたしから、今のわたしに届いた手紙のようだと思った。

 おさないころから読書が大好きだったわたしも「いつか、物語を書く人になりたい」と、あこがれるようになっていた。ちょうど小6くらいのときではなかったかと思う。とはいえ「ネタが見つからない」「アイデアやイメージはどこからわくのか」と、具体的な疑問を抱くには至っていなかった。ただ漠然と、夢見ていただけだった。本の虫さんはすでに、夢ではなくて、目標を抱いているのかもしれない。だとすれば、それは素晴らしいことだと思う。

 小説家という職業には、年齢制限はない。小学生でもなれるし、会社を定年退職したあとでもなれる。作品さえ書くことができれば、そして、その作品を読んでくれる読者の存在さえあれば。才能や運に限って言えば、年齢による差はほとんどない、と言っても過言ではないだろう。

 しかし、10代と60代の人を比べてみると、そこには決定的な違いがある。

 それは、生きてきた時間の長さ。つまり、人生経験の豊かさ。

 もちろん、個人差はあると思う。思うけれど、10代のわたしと、60代のわたしの人生経験を思いうかべてみると、両者のあいだには、圧倒的な差が存在している。

 たとえば恋愛、たとえば仕事。出会った人の数、別れた人の数、遭遇したできごとの数(数だけを問題にしているわけではありませんが)────。

 ここで、本の虫さんの質問にお答えすると、わたしの場合には、物語のネタもアイデアもイメージも、すべてはこの、人生経験から生まれてくる。

 では、人生経験が少ないと、いい小説は書けないのか、というと、これがまんざらそうでもない、というのが小説のおもしろいところ。

 わたしはこれまでに数多くの恋愛小説を書いてきたけれど、恋愛の経験はそれほど豊富ではないし、自分の体験だけをもとにして書いても、読まれるに値しない、たいくつな恋愛小説しかできあがらないだろうと思う。

 豊かな人生経験を、読んで「おもしろい」と感じられる豊かな物語に結晶させていくために、どうしても必要なものがある。

 それは、想像力である。

 言いかえると、一度も恋をしたことのない人でも、恋を想像することさえできれば、恋愛小説は書ける。小学生にも書けると、わたしは思う。

 その想像力は、やはり体験から生まれる。

 ここで言う体験とは、恋愛そのものの体験ではない。恋をしていたときに感じていた「喜び」「苦しみ」「悲しみ」「胸の痛み」「せつなさ」「愛おしさ」「嫉妬」などなど、さまざまな感情。感情の体験によって作家は「体験していない恋の物語」を生みだすことができるのである。

 正直なところ、わたしにとって恋愛は、それほどいいものだとは思えない。あんな苦しいもの、あんなつらいもの、もう二度としたくないとさえ思っている。それなのに、恋の物語を書いたり、読んだりするのは大好きだ。好きでたまらない。自分の体験した悲しい感情を文章でつづったり、人のつづった悲しい恋のお話を読むのが大好きだ。つまり、体験はもうしたくないけれど、想像はしたい。恋とはわたしにとって、そういうものになっている。

 今から数年ほど前に『きみの声を聞かせて』という作品を書いた。

 小学生から大人まで読める(と、わたしは思っています)恋の物語である。

 心に悩みをかかえている少女がSNSを通して知りあった少年と、音楽やことばを送りあいながら、交流をあたためつづける。実際には会ったことのないふたりのあいだに、いつしか、淡い恋心が芽生える。

 ここまでが起承転結で言うと「起と承」の章。やがて、日本でふたりが会えるかもしれない「転」がやってくる。「結」はハッピーエンドになったのかどうか、それはここには書かない。

 この作品を書いたとき、わたしは50代後半。

 「きみに会いたい」と書かれた少年からの手紙を受けとった、40歳以上も年下の少女の気持ちを想像しながら、わたしはこう書いている。

読みおえたとき、わたしのからだは、雪のあらしに包まれていた。

びっくり、うれしい、どうしよう。おどろきと喜び。とまどいとまよい。不安とおそれと、なぜ不安なの? なぜおそれているの? というもんのうずまき。

名づけようのない気持ちがぐるぐるまわっている。

まわりながら、空からってくる。

<中略>

ものすごくうれしいはずなのに、どうしよう、どうしよう、こまった、と、わたしの心はあらしにもみくちゃにされている。

なぜ、こまるの? 会いたい人に会えるのが、なぜこわいの?

 そう、これが恋だ、これが恋というものだ、と、自分の書いた文章を書きうつしながら、思っている。

 この感情の嵐。気持ちのアップダウン。次々にわいてくる疑問。矛盾している答えが胸をまっぷたつに分けている。自分ではうまくコントロールできない、とても乱暴な感情を10代、20代のころに、わたしはいやというほど味わった。

 味わいつくしたからこそ、今でもありありと想像できる。この女の子のやるせなさを、まるで今、自分がそう感じているかのように。

 これが小説のマジックだと、わたしは思っている。

 体験していないことを、小説家は、かつて体験した「感情を使って」書く。

 『きみの声を聞かせて』から3年後に上梓した『初恋まねき猫』という作品のなかで、わたしは、10代の「少年」の恋心を想像して、こう書いている。

またお手紙ください、待ってます、と、書こうとした手がふいに止まった。

体の底から、いずみみたいに、わき出てくる思いがあった。

それをそのまま、ぼくは書いた。

<アエタライイナ。>

わき出てきたことばはなぜか、カタカナだった。

書き終えた瞬間、自分が別人になったような気がした。

生まれ変わったような、ひと皮むけて、まるでへび脱皮だっぴしたみたいな気分だ。

これが、「大人になる」ということなのか。

大人になるということは、かっこ悪いことなんだなと思った。

アエタライイナなんて、そんなかっこ悪いこと、これまでのぼくには書けなかった。

いや、そうじゃない。大人になるということは、かっこ悪いとわかっていることを、かっこよくやることなんだ、きっと。

 『初恋まねき猫』は「ハッピーエンドの初恋の物語を書いてください」という依頼に応えて書いた。初恋なんて、ハッピーエンドになりっこないと思っていたけれど、だからこそ、想像するのも、書くのも、とても楽しかった。

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。同志社大学卒業。小説家。詩とメルヘン賞、海燕新人文学賞、島清恋愛文学賞、ボローニャ国際児童図書賞などを受賞。2019年には『ある晴れた夏の朝』(偕成社)で、子どもの本研究会第3回作品賞、小学館児童出版文化賞を受賞。主な作品に『エンキョリレンアイ』『きみの声を聞かせて』『アップルソング』『思春期』『初恋まねき猫』『放課後の文章教室』『空から森が降ってくる』など多数。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。

今日の1さつ

もう40年近くも昔、私が小学生の時、担任の先生がこの本を使っており、私たちは呪文のように唱えながら楽しんで漢字を覚えました。現在私は教師となり、肢体不自由で書字が困難な児童を受け持っています。この本のことを思い出し、書店で探しましたが、まだ出版されていてよかった!!書けなくても楽しく漢字を学ぶことができます。永遠のベストセラーです!!(47歳)

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