「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。
大学を卒業したとき「これから先はもう、学校へ行かなくてもいいのだ」と思うと、うれしくて、たまらなかった。人に自慢できることではないとわかっているけれど、学校がきらいで、教室がきらいで、教室で受ける授業がきらいだったから、当然のことながら、教科書もきらいだった。
そんなわたしが「現代の中学生たちは、どんな国語の教科書で勉強しているのだろう」と興味を持ったのは、ほかでもない、この連載エッセイを書きはじめたからである。もしかしたら、教科書に載っている文学作品をきっかけにして、好きな作家を見つけたり、読書の喜びに目覚めたりしている人がたくさんいるのではないかと思った(わたしは教科書がきっかけではありませんでしたが)。いったい、教科書にはどんな作品が載っているのだろう。
さっそく日本から教科書を取りよせて、読んでみた。光村図書発行の「国語1・2・3」(中学生用、全3冊、平成31年2月発行)である。
驚いた────感想は、このひとことに尽きる、と言っても過言ではない。
小包を開封した段階から、とにかく驚きの連続だった。
まず、大きさ。同時に、重さ。
今の教科書は、こんなに大判で、こんなに重いのか。
次に、表紙、見返し、グラビアページ、目次、章扉など、要するに、ブックデザインのすべてに目を見はった。とにかく、写真とイラストが豊富。しかも全ページ、カラー印刷。これが国語の教科書? 教科書というよりも、美術関係の雑誌のようではないか。あまりにも豪華、あまりにもぜいたく。そして、あまりにも親切で、すみからすみまで、至れり尽くせり。子どもたちが飽きないような工夫もなされている。エンターテインメント性がある、とでも言おうか。誤解を恐れず書けば「こんなにも、子どもたちを甘やかしていいのか」と、言いたくもなる。
今から50年前、中学生だったわたしの使っていた教科書の装幀やページデザインは、もっともっと簡素で、無味乾燥で、親切の反対=不親切で「子どもたちを突きはなす」ようなものだった、という記憶がある。あくまでもわたしの「記憶のなかの教科書」であるからして、実際にそうだったのかどうかは、定かではないのだけれど。それでも、今の教科書を生徒の「親しい友人」だとすれば、50年前の教科書はあきらかに「教壇に立つ偉そうな教師」であった、と思う。
ここまでは教科書の外見、つまり、ファッションから受けたカルチャーショック。
では中身、つまり、内容はどうだったのか。
やはり驚かされることが多かった。
まず、詩が多い。随所に詩のページがある。これはとても新鮮だった。風通しがいい。文学に親しむきっかけとして、詩を入り口にするのはいいことだなと思う。
次に、詩人もふくめて、現代作家の作品が多い。しかも、作家がこの教科書のために書きおろした作品も掲載されている(驚きました!)。
50年前には、50年前に活躍していた当時の現代作家の作品など、載っていなかったと記憶している。つまり、わたしが教科書で読んだのは、古典、いわゆる文豪の書いた名作、亡くなった作家の作品ばかりだった。しかも「なんてつまらないんだろう」「なんて難しいんだろう」「何が言いたいのかさっぱりわからない」という作品が多かった、という記憶が残っている(注・あくまでも記憶です)。
だから、教科書を読めば読むほど、国語がきらいになった生徒がいても、決して不思議ではなかったのではないか。ちなみに、わたしは中高時代の、実につまらない、くだらない、役に立たない英語の教科書のせいで、英語がすっかりきらいになっていた。
50年前、中学生だったわたしの心を躍らせてくれる作品は、つねに、教科書の「外にあった」────これだけは、間違いない。だからわたしは放課後になると、学校の図書室や、町の図書館へ行って、教科書には載っていない作品を読みあさった。そのせいで、文学が好きになったのだから、まあ、教科書は反面教師としての役割はじゅうぶん果たしてくれたとも言えるだろう。
もうひとつ、これも「画期的だな」と素直に感心したこと。それは、教科書全体に漂う「環境問題へのアプローチ」である。国語の教科書なのに、まるで理科、あるいは生物学の教科書のように、自然、動植物などの写真が多く掲載されている。もちろん作品の内容もしかりで、動植物や地球や宇宙などをテーマにしたものが多い。
50年前には、世の中に「環境問題」ということばさえ存在しなかった。だから、わたしが教科書で読んだ作品は、むしろその逆のアプローチの作品が多かったのではないかと推察する。つまり、経済的発展、物質的豊かさ、国家の繁栄を最優先するような傾向が教科書にも漂っていたのではないか。
その証拠に、わたしは20代後半まで、豊かさとはすなわち、物質的な豊かさであり、経済的な豊かさであると思いこんでいた節が大いにある。
学校で教えられたことといえば、まっさきに頭に浮かぶのが「人と競争して、人を蹴落としてでも勝ちなさい」ということだった。10代のときに刷りこまれたこの教えを、頭から払いおとすために、10年くらいかかった。
教科書を読んだことで、わたしは、この50年間の日本の歩み、世界の歩みを読んだような気になった。これもまた、有意義な読書体験だったと思っている。
ところで、今から75年前、わたしの両親が中学生だったころに読んだ教科書はどのようなものだったのかというと、両親曰く、
「ページが墨でまっ黒になってしまって、読むところなどひとつもなかった」
そんな教科書だったようである。
両親は、日本が満州事変を起こした年に生まれて、14歳と15歳のときに敗戦を迎えた。敗戦後、久方ぶりに授業がおこなわれることになった(それまでは、子どもたちは学校ではなく、畑や軍需工場へ行かされていました)教室へ行って、最初にさせられたことは、教科書に書かれている文章を、みずから墨で消すことだったという。戦争でアメリカに負けて、軍国主義から民主主義に鞍替えすることを余儀なくされたためである。
両親はそれまで教科書のなかに「これが正しい」と書かれていたところをすべて墨でぬりつぶして「それは間違っていた」と教えられることになった。墨でぬりつぶした教科書に「読むところがひとつもなかった」ということは、教科書に書かれていたことは全部、間違っていたということになる。
先生も、生徒も、ほんとうに大変だっただろう。黒いからすを白いと教え、教えられ、黒いからすの上に黒い墨をぬらなくてはならなかったわけだから。
それから75年が過ぎて、今の中学生たちは、表紙をあけると、まずそこには森の樹木の写真があって、冒頭のグラビアページには、雪景色、富士山、桜、アフリカの夜明けとインパラなどの写真があって、本文は「野原はうたう」という工藤直子さんの詩から始まる、美しい教科書、楽しい教科書で国語の勉強をしている。
これから50年後の教科書は、どうなっているのだろう?
もしかしたら「あのころはね、教科書は紙でできていたのよ、信じられる?」と、わたしと同じ年になった中学生たちが孫たちに、問わず語りをしているのだろうか。