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放課後の読書クラブ

第6回 作家が少年少女だったころ 後編

劣等生だった詩人

「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。

 アンパンマンの生みの親であるやなせたかしは1919年(大正8年)に、高知県で生まれた。田辺聖子の誕生よりも、9年ほど前である。

 聖子先生はわたしのあこがれの作家だったわけだけれど、やなせ先生は文字どおり、わたしの「先生」であり「恩師」であり、亡くなられた今も、天国から教えみちびき、叱咤激励し、SOSを発信すれば助けに来てくれる、頼もしいアンパンマンである。

 やなせ先生との出会いは、かれこれ50年前まで時をさかのぼる。

 わたしは中学生だった。定期購読していた雑誌の読者プレゼントに応募したところ、やなせたかし詩集『愛する歌 第一集』が当たった。

 なんという出会い方だろう。まさに、宝くじに当たったようなものではないか。まさに「ラッキー!」としか言いようがない。

 その詩集を手にしたとき、わたしは「詩」と出会った。先生の詩集を読んで、自分も「こんな詩」を書いてみたいと思った。書いてみたら、おもしろかった。書くことに魅了され、病みつきになった。将来、物を書く人になりたいと思うようになった。つまり、やなせ先生の書いた詩によって、わたしは、自分の進んでいく道を見つけた。そして今、その道の途上で、この文章を書いている。

 やなせ先生は、どんな少年だったのだろうか。『やなせたかし全詩集』からいくつか、先生の詩(すべてその一部です)を紹介してみよう。

生まれたときからバカじゃない
知能指数もゼロじゃない
なぜ成績がわるいのか
とわれてこまるわが心
劣等生じゃあるけれど
ロマンを愛するこの俺の
胸の血潮はだぜ

「劣等生賛歌」より抜粋

 

小学生のとき
ぼくは首席以外になったことがなかった
しかし中学に入ってから
急激にぼくは成績が悪くなった
数学が零点に近い
何よりも公式を暗記するのが
いやでたまらなかった
ぼくの心は文学や美術のほうへむいた
なやましい受験生時代があり
ぼくはやっと図案科生になれた
図案のことはなにも知らなかった
ただ絵をかきたいだけだった

「学校」より抜粋

 どうやら少年は、数学のできない劣等生だったようである。

 中学校を卒業したあと、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)の図案科に進み、映画ざんまいの学生生活を送り、卒業後は製薬会社の宣伝部に就職し、順風満帆な社会人生活が始まった、と思いきや、まるで足もとをすくわれるようにして、先生の「絵をかきたい」という夢は、取りあげられてしまう。

 1940年(昭和15年)、21歳だった先生は徴兵され、中国戦線へ送りこまれ、5年後の敗戦の年まで、戦地で兵士として戦うことを余儀なくされた。

戦場にも
花は咲いていた
可憐な野菊は
風にふるえていた
ぼくは思った
なぜ ぼくらは
雲や花のように
生きられないのかと
なぜ ぼくらは
殺しあうのかと
太陽は公平に
敵も味方も
照らしていた
引きがねに指をかけた
ぼくの手の上を
てんとう虫はゆっくりと
はっていた

「戦場」より抜粋

 やなせ先生の戦争体験はのちに、日本中の子どもたちを夢中にさせるアンパンマンに結実した。

 やなせたかし=アンパンマンと思っている人が多いと思うけれど、先生は画家であり、編集者であり、詩人であり、絵本作家であり、エンターテイナーでもあった。しかし、弟子のわたしとしては、やなせ先生といえば、やはり詩人である。

 1973年(昭和48年)に創刊され、30年あまりつづいた雑誌「詩とメルヘン」の、先生は編集長で、わたしは無名の投稿詩人だった。

 毎月、先生のデスクに届く、無数の詩。無数の星くずのなかから、わたしの書いた拙い詩を拾いあげ、活字にして、初めて世に送り出してくれたやなせたかし先生。45年にわたるおつきあいのなかで、先生はいつもわたしの夢────作家になりたい────を応援してくださった。

 「才能、努力、運。この3つがそろっても、作家にはなれない」
と、先生はおっしゃっていた。あともうひとつ、どうしても必要なものがある。自分もそれがなかったために、長きにわたって辛酸をなめ、苦労に苦労を重ねてきた。
「しかし、あきらめちゃ、だめだ。あきらめるのは1秒ですむ。好きなことなら絶対にあきらめちゃ、だめだよ」

 やなせたかしは、天性の詩人だった。わたしはそう思っている。詩人が戦場へ行かされ、詩人がアンパンマンを生みだし、詩人が絵を描いていたのだ、と。

ぜひ 鳥に生まれてみたかった
つばさをひろげて海をこえて
自由に とんでみたかった
しかし ぼくはひとに生まれた
ひとがひとらしく生きるには
どういう風にすればいいのだろう
ぜひ ぼくはそれが知りたい
ぜひ ぼくはそれが知りたい
ぜひ ぜひ ぜひ

「ぜひ」より抜粋

 

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。同志社大学卒業。小説家。詩とメルヘン賞、海燕新人文学賞、島清恋愛文学賞、ボローニャ国際児童図書賞などを受賞。2019年には『ある晴れた夏の朝』(偕成社)で、子どもの本研究会第3回作品賞、小学館児童出版文化賞を受賞。主な作品に『エンキョリレンアイ』『きみの声を聞かせて』『アップルソング』『思春期』『初恋まねき猫』『放課後の文章教室』『空から森が降ってくる』など多数。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。

今日の1さつ

保育園でクリスマスプレゼントとしていただきました。元々、保育園にあった本で、子どもたちが皆大好きな絵本だったので、プレゼントとして選ばれたそうです。特に息子は気に入っていたようで、先生は何度も読まされたとのことです。この絵本がわが家に来てからも彼の熱は冷めず、私も夫も何度も読み、やめようとすると泣いて怒られました(笑)。(1歳・お母さまより)

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