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放課後の読書クラブ

第6回 作家が少年少女だったころ 前編

戦火の中で夢見る少女

「読むこと」をテーマに、自身の読書体験、おすすめの本などについて、作家・小手鞠るいさんが語ります。

 京都でひとり暮らしをしていた20代のころから、田辺聖子の作品を愛読してきた。

 きっかけは、失恋して落ちこんでいたわたしに、友人が『休暇は終った』という恋愛小説をすすめてくれたこと。読んで、失恋の傷が癒えたかどうか、記憶は定かではないものの、それ以降、すっかり田辺聖子のファンになり、新刊が出れば書店へ走り、次の新刊が出るまでは過去の作品を集めて読みあさる、というような日々を送ってきた。

 ファンになったら全作を読む、という読書の仕方は、そのころから今日まで、変わることがない。今も、とある方から贈っていただいた『田辺聖子全集』(集英社)をひもといている。

 田辺聖子の作品の魅力を花にたとえて表現すると、それは「ひまわりのような明るさと、すみれのような可憐さと、たんぽぽのような強さと、薔薇のような華やかさ」となる。いや、これでは到底、足りていない。あたたかさ、優しさ、楽しさ、闊達さ、健気さ。虹色の幸せに満ち満ちた作品たちは常に、前向きで楽天的な生き方を示してくれる。

 楽天的。そう、これだ。

 この一語ほど田辺聖子の世界を言いあてていることばは、ないと思う。小説、エッセイ、評伝、自伝などにとどまらず、古典案内、源氏物語の語り直しなど、2019年に91歳で亡くなられるまで、豊かな文章の泉は尽きることがなかった。

 あまりにも作品数が多いから、どこから入っていけばいいのかわからない、という若い読者には、『欲しがりません勝つまでは』『楽天少女 通ります 私の履歴書』『田辺写真館が見た“昭和”』────いずれも自伝的なエッセイ────あたりをおすすめする。作家がどんな人生を送ってきたのか。そこを入り口にして、めくるめく万華鏡のような宇宙旅行を始めてみて下さい。

 田辺聖子が生まれたのは、1928年(昭和3年)。日本が満州事変を起こして日中戦争の火ぶたを切るのはそれから3年後のことだから、作家の少女時代はそのまま、日中戦争と太平洋戦争に重なっている。

どんな少女だったのかというと────

私は十三歳。女学校二年生である。
天皇陛下と祖国・日本のために、命をすてるのだと、かたく決心している。そうして、ジャンヌ・ダルクにあこがれている。
昭和十六年である。
日本は戦争のまっ只なかにあった。
(中略)
日本はドイツと同盟をむすんでいたから、友邦ドイツのかがやかしい勝利に、夢中でかっさいをおくった。
ナチスのヒットラーユーゲントの少年少女に負けないように、私たちも祖国につくすのだ!
私はそう思って、はりきっている。ジャンヌ・ダルクのように、軍の先頭にたって、旗をひるがえし、さっそうと進むのだ!

『欲しがりません勝つまでは』より

 なんとも勇敢で血気さかんな少女だった。

 ご存じのとおり、その後の日本はずぶずぶと、負けいくさのどろ沼に足をとられて沈んでいく。アメリカ軍による激しい空襲。空襲警報。空からばらばらと降ってくる爆弾。大爆発、大火災。燃えさかる火の海のなかで、死体を踏みこえて逃げまどう人々。無駄に命を落としていく特攻隊の青年たち。広島と長崎に落とされた原子爆弾────。

 生と死の境目もあいまいな、怒涛の日々が待ち受けている嵐の前の静けさのなかで、少女は、林芙美子や吉屋信子の文学に親しみ、雑誌「少女の友」を愛読し、みずから小説を書いて、この雑誌に投稿していた。作家を夢見る少女だったのである。

 夢見る少女は1945年(昭和20年)の大阪大空襲によって、家を焼失する。空襲を受けたとき小学校にいた彼女は、防空壕に逃げこんで2時間後、自宅を目指して歩きはじめる。家は無事だろうか。家族は無事だろうか。

(前略)ごったがえす人並みの中を、やはり北へ帰る友人とふたりで歩きはじめた。北の空はまだ真っ赤で猛烈な黒煙が空を掩い、黒い雨が降った。このときの火災の煙の、天に沖すること七千メートルという。(中略)夏の白昼というのにあたりはたそがれのように暗い。上本町六丁目のあたりはすでに三月に焼けていて満目れきだった。しまいにどこを歩いているのかわからなくなった。トラックが走ってくる。兵隊が乗っているので友人が、〈この人だけ乗せて下さい〉と叫んでくれたが、兵隊は引きつった顔で手を横に振って去っていった。荷台は黒焦げの死体の山だった。ウチは大丈夫だろうか?

『楽天少女 通ります 私の履歴書』より

 田辺聖子の楽天的な作品世界は、このような経験から生まれた。

 このことにわたしは、文学の無限の可能性を感じる。作家は、どれほど悲惨な体験からも、明るく前向きな文学を生みだしていくことができる。戦争がもたらすものは殺戮と破壊だけだけれど、何もかもが破壊されたあと、そこから生まれてくる物語には、武器よりも強い、しなやかでしたたかな生命力がある。

 日本文学に「方言」を取りいれた功績も大きい。大阪弁で書かれた小説の作者として、田辺聖子の右に出る者はいないと言っても過言ではない。

(前略)軽く読んでもらうためには、書き手はかなりの腕力・気力・胆力をためて一気に噴出しないといけない。しかも私は大阪弁で発想するから、登場人物も大阪弁だ。舞台も上方だ。〈方言はソンですよ〉と忠告してくれる編集者も初期にはいたが、何をしゃらくさい、(中略)ただ文学作品で表現するときには大阪弁の表記に細心の注意を要する。字やおんにセンスのない人が、耳で聞いたまま表記したのではアカンのである。一にかかって会話表記はセンスだ。字づらが美しくなければ方言の面白さは出てこない。

『楽天少女通ります 私の履歴書』より

 伊丹市にあった田辺聖子先生のお宅におじゃまさせていただき、先生とお話しすることがかなったのは2007年のことだった。ちょうど、NHKの連続テレビ小説で、田辺聖子の半生を描いたドラマ『芋たこなんきん』が放映されていた。わたしはそのころ、ある雑誌でエッセイを連載していた。その雑誌の編集者が田辺先生と親しくされており、わたしが先生のファンであることを知って、いっしょにお宅に連れていって下さった。

 庭では、色とりどりの薔薇が咲いていた。メルヘンチックなつくりになっている家の2階から、らせん階段を伝って、先生は優雅に降りてこられた。可愛らしい洋服を着て、小さな犬を胸に抱いて、満面に笑みをたたえて。先生の書く小説の主人公が天上から舞いおりてきたようだった。

 そのとき聖子先生は79歳。そのお顔は「夢見る少女」のままだった。

 

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。同志社大学卒業。小説家。詩とメルヘン賞、海燕新人文学賞、島清恋愛文学賞、ボローニャ国際児童図書賞などを受賞。2019年には『ある晴れた夏の朝』(偕成社)で、子どもの本研究会第3回作品賞、小学館児童出版文化賞を受賞。主な作品に『エンキョリレンアイ』『きみの声を聞かせて』『アップルソング』『思春期』『初恋まねき猫』『放課後の文章教室』『空から森が降ってくる』など多数。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。

今日の1さつ

保育園でクリスマスプレゼントとしていただきました。元々、保育園にあった本で、子どもたちが皆大好きな絵本だったので、プレゼントとして選ばれたそうです。特に息子は気に入っていたようで、先生は何度も読まされたとのことです。この絵本がわが家に来てからも彼の熱は冷めず、私も夫も何度も読み、やめようとすると泣いて怒られました(笑)。(1歳・お母さまより)

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