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偕成社文庫100本ノック

第86回(プレイバック中!)

生きている石器時代

『生きている石器時代 』本多勝一 著

 2009年にNHKで放送されたドキュメンタリー、「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」は衝撃的でした。アマゾンの奥地に住む、原初の生活をする少数民族ヤノマミと150日間(!)同居して取材して制作したもので、わたしたちとはかけ離れた彼らのくらしに興奮し、ただただ驚くばかりでした。

『生きている石器時代––ニューギニア高地人』は、ジャーナリストの本多勝一さんが、「ヤノマミ」の放送より46年前の1963年に、ニューギニアの高地に住む少数民族をたずねた記録をまとめたものです。カメラマンの藤木さん、考古学研究者の石毛さんといっしょに未開の地に入っていくすがたは、さながら一級の冒険小説! 夜な夜な襲ってくる大量のダニとの闘い(きもちわるい)、ごちそうであるハチの巣を手に入れるための死闘(いたそう)、地図のない夜のジャングルでの迷子(こわすぎる)など、こんなの耐えられない…と絶叫(心の中で)しながらも、ページを繰る指がとまりません。

 本多さん一行は、モニ族やダニ族とよばれる民族がくらしているウギンバ部落というところに滞在します。彼らはどちらも、畑をたがやす農耕民族。したがって、エスキモーのように狩りをすることはありませんし、ギャートルズのように巨大なマンモス肉をほおばることもまずありません(基本的には「イモ食」で、そだてているブタを食べることも稀なのだとか!)。

 モニ族でおもしろかったのは、あいさつに使われる「アマカネ」ということばについて。

 ––––その状況によって「こんにちは」「こんばんは」「おはよう」「ありがとう」「どういたしまして」「すみません」「だいじょうぶかね」「ざんねんだ」「おきのどくに」などなど、数十語を代表することになる。(中略)アマカネは、日本語のあいさつ「どうも」に近いといえよう。かくてウギンバの一日は、大げさにいうとアマカネに明けてアマカネに暮れる。(本文より抜粋)

 伊丹十三がエッセイで、日本人は無駄なあいさつがやたらとおおすぎる、めんどうなので全部「ぷ」にしてしまってはどうか、なんてことを書いていて、それもいいなあなんて思いながら読んでいたのを思い出しました。「アマカネ」だけでもほぼやっていけるモニ族と本多さんをみていると、案外イケるのかもしれません。

 人懐っこいモニ族とことなり、ダニ族はすぐに名前を教えてくれない人もおおく、本多さんと藤木さんがおもしろがってつけたであろう「あだ名」がたくさん登場します。「悪役」「ゆううつ症」「給食ばあさん」「オバケ」などなど…。ろくな名前がありませんが、それらにはきちんと由来があるのです。あだ名で登場する彼らの日常は、実際にはわたしたちのくらしとかけ離れているにもかかわらず、可笑しみがあってなんとなく近しく感じられます。

「生きている石器時代」であるウギンバ部落の人びとは、火をつけるためのマッチもなければ、ものを切るためのセラミックの包丁もありません。でも、本多さんは彼らの生活に潜入して、それが「そんなに不便じゃない」と感じたそうです。火をつける道具になれてしまえばものの5秒くらいでつけてしまうし、手づくりの石包丁も、案外いい切れ味で使いやすい。わたしたちのほうが「進んでいる」と考えるのも、あくまで主観的なものなのであって、実際にくらしている人からするとまったくちがう感覚なのだろうな、と思わずにいられませんでした。

 なにしろ古い本なので、登場する7歳の女の子もいまでは単純計算で60歳。僕からすれば超先輩です。でも、読んでいると、そんな遠い日のニューギニアに、まるで自分がいるような気がしてきます。読むとだれかに話したくなる名作。ぜひ読んでみてください!

 ※『生きている石器時代―ニューギニア高地人』は、『極限の民族』(朝日新聞社)からニューギニアの記録だけ抜粋し、リライトしたものです。おとなの方はこちらも読んで、お子さんといっしょに話をするのもおすすめです!

(編集部 丸本)

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今日の1さつ

病院の待ち合い室でこの本に出会い、子ども達が大大大好きになりました。痛いことは誰でも辛いことだけれど、治すためにがんばろうというメッセージが小さな子どもの心に響くようです。予防接種の際に「少し痛いけど必要なことだからがんばろう!」そんな時に子どもに読んであげたい1冊です。(3歳、8歳・お母さまより)

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